理不尽な進化

久しぶりに進化に関する本を読んでみた。以下、考えが纏まらないままに書いており、良く分からない文章になっていると思う。もしそうであれば、それは第一印象の「もどかしさ」を反映している。

僕の進化論の知識は20年前から更新されていないので、随所に挿入される読書案内は好印象であった。本書で良かったのはこの点のみである。結構前に買った本で、此れ迄何度か読もうとしては中断した理由は、文章が悪い意味で冗長で気が散ったから。恐らく対象読者層が上手く設定できていないか、僕が対象から外れているのが原因だろう。対象としては、進化論のことを詳しく知らない、でも進化論の言葉だけは曲解して使用している、立派な一般教養を備えた人ということになるだろうか。ある専門用語を別の用途に用いる際、原義からズレて使っている(という可能性がある)ことを教養人は理解しているものである。

どうも本書は、世間の一般的理解はこうであろうという著者の思い込みの上に展開されているような気がしてならない(これは僕の思い込み)。此れまで地球上に誕生した種の99.9%が絶滅したという。この数字は当たり前と思える範囲の値である(ひょっとしたら専門家にとっては当たり前ではないのかもしれないが)。地球上にこれまで誕生した種の数を多めに見積もって500億、現在の種数が多めに5000万、進化論が適用される期間も多めに10億年(前半は真核生物・多細胞生物の時代だが)としておくと、平均的な種の「寿命」は100万年となる(実際の種数分布は時間的に偏るので、あくまで目安)。100万年という桁は哺乳類や爬虫類の様な大型種であっても十分な変異が蓄積し、複数の種に分化し、基となる種とは別種となるのに十分な時間幅ではないだろうか。変化が蓄積した結果、もしすべての個体が出発点となる時点の個体と交配できない程に変化したのであれば、それがその元の種の「寿命」ということになる。99.9%という値自体は何ページも割いて説明する様なことではない。直感と異なるという結果であれば面白かったのだが。なお、素人考えではあるが、こういう話をするのであれば、浮動要素の大きい「種」ではなくて、「属」や「科」を単位にした方が安全だろうと思う。

また、進化には突発的なイベントやランダム要素、つまり「運」の作用が重要と説明する。あたかも世間では進化を考える際に「運」への考慮が抜け落ちている(抜け落ちていた)として。僕の思い込みでは、運が作用しない、即ち決定論的な数理モデルとして生命の進化を捉えている人の方が稀である。一つ断っておくと、(決定論的・確率論的ともに)数理モデルは進化を考える手法として、僕の知っている限りでは有効であった。今も有効だろう。

一般的な誤解(そんなものが有るかどうかも不明な)を解くという立場でなく、単に進化論の(または進化論の受容の)推移という書き方であれば、半分以上を占める余計な回りくどさも不要になり、楽しく読めたかもしれない。それでは何故本書を紹介したのかと言えば、繰り返しになるが、読書案内が好印象だったから。進化論に関する本を何か読みたいが何から読んだらいいのか分からない、そんな人は本書を立ち読みして、ページの隅に載る紹介本の中から気になるものを読んでみると良いと思う。僕自身は本文の目に入る漢字をパラパラと拾い読みしただけだし、上に書いた様なもどかしい点を冗長に指摘するだけになるので、本書の感想はこの辺で止めておく。