賢者ナータン

著者の名前は何処かで見覚えがあり、後書を読んで何処でか判明した。彼の著作『人類の教育』の一節は『M・エンデが読んだ本』に収録されていたのだった。翻訳者も同じである。その本はミヒャエル・エンデが生涯を通じて深く影響を受けたと考えている書物の断片を彼自身が編纂したもので、エンデが好きならお勧めの一冊である。ふと目に付いた折に何となく読みたくなる本で、僕はずっと本棚の一軍席(つまり直ぐに手の届く場所)に置いている。僕はエンデを尊敬しているが、それは彼のことを著作以外に良く知らないからでもある。心理学者でもない僕がこの本を読んだからと言ってその距離が縮まることは無い。余談になるが、「尊敬」とは遠くから仰ぎ見る感情であると思っている。僕の子供の頃は学校で「尊敬している人物は誰か」などと度々聞かれたものだ。他の人はどうだか知らないが、僕自身は誰かを尊敬するには、その対象とある程度の距離が必要である。よく知らないからこそ想像の余地も残る。

更に余談になる。ある程度の歳になると、エンデが編纂したように自分に最も影響を与えた本は何か、ということを考えるものである。それと類似の思案で、「本棚に10冊しか置いてはいけないとしたら何を選ぶか」、というお題で僕は部屋の小さな本棚を眺めることが有る。これは最高の(寝る前には最悪の)暇つぶしである。『M・エンデが読んだ本』は今のところその中に入る候補の一冊である。それでは、この先の人生で一冊の本のみ読むことを許されるとしたら人は(僕は)何を選ぶだろうか。こういう類のくだらない思案が僕は大好きなのである。一般的な日本人、即ち特定の宗教的教義への傾倒を持たない人が選ぶとすれば、多くの場合はこれまで読んだことのある本ではないと思う。僕がそうであるように、たぶん評価の定まった歴史的名著で、難しそうという理由でそれまで敬遠してきたものを選ぶのではないか。大勢の偉い人が評価しているから読む価値が有る可能性が高い。権威の判断に従うのは楽なのである。

さて、本書の著者は18世紀ドイツ啓蒙思想の代表的人物の一人である(らしい、僕は知らなかった)。啓蒙主義には「答え」を上から押しつける印象があるが、彼の「啓蒙主義」は「方向を示し、問い続ける」のを特徴とするそうだ。彼は「文字(聖書)は宗教ではない」を公言し、聖書を絶対視するルター派の牧師と敵対する。彼にとって聖書は信仰の対象そのものではなく、物語(歴史)のテキストに過ぎない。その宗教論争の中で宗教関係の出版を禁じられて書いたのが戯曲『賢者ナータン』である。舞台は第3次十字軍停戦後のエルサレム。ユダヤ人の商人ナータン、その娘リヒャと彼女の世話係ダーヤ、若いテンプル騎士、サラディンを中心に話が展開される。

途中で「三つの指輪の寓話」が出てくる。東方に男がいた。彼は価値のある指輪を所有しており、彼の三人の息子の中でその指輪を相続するものが彼の財産と地位も相続することになっていた。しかし彼は優しくて気が弱いために、三人の息子それぞれに指輪を遺すと約束してしまう。困り果てた彼は二つの複製とともに計三つの指輪を三人の息子に一つずつ渡す。それぞれが本物の指輪だと信じる息子たちは、指輪と相続権の正当性を巡って裁判を争うことになる。さて、この価値のある指輪は、指輪をはめている者を、神と人の前で好ましい人間にする不思議な力がある。そこで裁判官はこう忠告する。「三人がそれぞれ、本物の指輪にふさわしい価値を持つ人間になるように励がよい」と。指輪に価値があるのではなく、その所有者の振る舞いが指輪に価値を与えるのである。三つの指輪とは、もちろんユダヤ教、キリスト教、イスラム教の比喩である。この三宗教はどれも真の宗教へ向かう途上にある(とレッシングは言う)。そこに近づくことができるかどうかは信仰者の振る舞い次第であり、(教典ではなく)それこそが宗教の真理なのである。

最後に、登場する二人のキリスト教者の内、特にダーヤはレッシングの宗教論争の敵対者を体現している(ように思える)。すなわち、「答え」または「正しい唯一の道」を「知っており」、それを他者に押し付ける偏狭さがある。本書を読んだ限り、レッシングは権威を笠に着るこうした偏狭さとは無縁である。読み慣れない僕には戯曲は没頭し辛い。同類の本を立て続けに読む気はしないが、たまにはこういう読書もよい。

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