はじめてのイタリア語
数年来のスポーツジムと合わせて6月からは格闘技ジムにも通い始めたのだが、何しろ下手糞なので、体の何処かしらが痛まないことが無い。10日ほど前はミットでキックを受け損ねて肋骨を痛めてしまった。胸郭を動かすような運動(上部の腹筋など)やキック受け、咳・クシャミをするとその辺りに響くので、ヒビが入ったかもしれない。他の運動には影響があまり無く、気にせずに動いているとつい昨日、今度はパンチをミットで受け損ねて薬指を恐らく捻挫した。ミット受けがどんなものか知っている人なら何でそんなところが、となるかもしれない。一晩置いてみると患部が腫れ、突いたり握り込むと痛いが、幸いなことに今度も他の運動にはあまり影響がなさそう。運が良い。
先月末にイタリア語の起源に関する面白そうな本を見つけて購入した。ラテン語と同時にイタリア語の知識もあった方がよく理解できそうな内容だったので、少しイタリア語に手を付けることにする。表題書は講談社現代新書の「はじめての%%語」シリーズの内で、朝鮮・韓国語(有ったかな?)と共に未読だった一冊であり、過去にも2回は買った覚えがある。
他のロマンス語と同様にとても分かりやすい言語という印象を受けたが、一つだけ面食らったことがあって、それは動詞の活用形の種類の多さ。一人称・二人称・三人称のそれぞれ単複で計6種類に活用することは(スペイン語などと同様)例のごとくだけれど、時制や法の分類が直接法現在形、条件法過去形、接続法未来形などなど計14パターンあり、妙に細かい。その内の幾つかは母語話者でも使ったことが無い・使うことが殆ど無いそうだけれども。ちょっと面白くなったのでもう少し詳しい教科書を物色している最中である。ラテン語はガリア戦記の途中(まだまだ導入部)で一休み。
Audibleでは数日前から聴き始めた “Infinite Powers” が面白い。理系学部を出た人なら誰もが勉強したと思うけど、数学分野の一つにcalculus(微積分学)があり、実用的な視点から数学的な厳密性を少し犠牲にし、想像力を働かせて極限を取り扱う。例えば、取り扱う対象を細切れのシンプルな要素に分解(微分)し、その単純な要素で必要な計算をしてから加え合わせる(積分)。この成果は科学技術の発展と科学史上で計り知れない。この先駆者がアルキメデスであり、彼は積分の手法を用いて円の面積を正多角形で近似的に求め、π(円周率)の値を3+10/71から3+10/70の間までに絞り込んだ。僕たちの馴染みの値、3.14の次の位の数字を0から2までに限定したことなる。因みにこの微積分学を中心に極限や無限を厳密に「数学」したのが解析学で、僕が少し齧った確率論もその下枝の一つであり、その基礎にあるのは(ある種の)積分である。
著者が微積分学の力を力説した部分が少し記憶に残っているので、ニュアンスだけ切れ切れに抜き出してみると;”Truth in, truth out. Inputing what we know, with mathematical logic what comes out is what we have not known.” 既知の事柄(現象、理論)と論理的思考から未だ知られていない事実(理論)が導かれる。マクスウェルは電磁波をこのようにして発見したそうだ。ストロガッツの名前で検索してみると本書の日本語訳『インフィニティ・パワー: 宇宙の謎を解き明かす微積分』が見つかった。イマイチな邦題に加えて値段が高いのが難点。