アケメネス朝ペルシア

表題は少し前に読んだ中国史の本が酷かったのでお口直しに読んだ本で、これは実に面白かった。そう感じた要素は幾つもあるけれど、先ずは無理のない情報量。江戸時代より少し短い、だいたい前550年から前330年位まで続いたアケメネス朝のみにフォーカスしており、古代史を取り扱った新書に有りがちな、浅く広く詰め込み過ぎて味気なくなっていないのが良い。そして解説される「歴史的事実」がどの情報源(ヘロドトスやクテシアス、どこそこの碑文など)に基づくかが原文の抜粋とともに明示されていて、これらが互いに食い違っているのが面白い。僕たちが知る歴史とはその出来事の当事者や同時代者がある意図をもって残した記録・伝承の、何らかの理由で何処かで受容されて受け継がれ残された史料を現代人が解釈したものであることが良く分かる。

Audibleでは以前にチラッと紹介した “Life Ascending” を相変わらず聴いていて、これがすごく楽しい。生物進化の重要発明として何が取り上げられるか、聴き始める前に幾つか想像はしていたのだが、細胞核と死(老化の結果としての)は思い付かなかった。特に後者は、まだその部分まで聴いていないけど、進化が上手く機能するための潤滑油のようなものだと思う。

これらの「発明」の内で、どれが必然的でどれが偶然的な獲得なのかが知りたくなる。時間を生命が地球上で発生した(或いは飛来した?)時点まで何度でも巻き戻すことができたとして、どういう「発明」が地球上という条件の下でいつも獲得される必然的要素なのだろう。僕たちの「世界(宇宙)」は、ある本のある説によると、証明ができない範疇の事柄ではあるが論理的に考えて、より高等な知性が実行するシミュレーションの中の出来事である可能性がほぼ100%に近いそうである。キリスト教徒やムスリムなら神と答えるかもしれない、そのシミュレーション主の彼(彼ら)なら分かるだろう。

さて、僕たちが意識的に経験できる世界は各自の体内で発する電気刺激のみから成り立つので、その刺激の源が何であれ、-僕たちが本当に存在すると思っている物質世界なのか、はたまたコンピューター的なものの中で発生する何らかの信号(神のコンピューターがどう動いているかは知らないが)なのかを問わず-、人間が関与できる範囲外の心配事である。そういう意味で実質的に僕たちの生活には何の影響もない。でももしこの世界がシミュレーションだと判明したとして、そのとき人々がどう反応して行動するかはとても気になる。そんなSFが読みたいと思って少し記憶を辿ってみたら、ネタバレになってしまうが春頃に紹介した小説『異常』が、そういう臭い現象に蓋をする(ひた隠して無視をする)話だった。マトリクスやニューロマンサーは物質世界がちゃんと存在する上での仮想現実なので少し違う。既に人類が掴んでいる「この宇宙」の物理法則から遡及して、外の世界の性質を垣間見る、そんなSFがあったら面白いだろうと思った。