英語独習法
英語に関してお勧めできる本が一冊増えた。今更英語の学習書もないだろうとここ十何年のあいだ無視してきたジャンルであったが、本書は英語に限らず外国語の運用技能(知識と言わず敢えて技能と言う)を身に着けたい人にとっては示唆に富む指南書となる。英語初学者にとって目から鱗の面白さはマーク・ピーターセンに譲るものの、そこに披露される知識の基底にある身体作用を本書は解説してくれる。ピーターセンの本の出版から数十年の間に蓄積された認知科学の知見がそれを可能にした。どういうことか、簡単な例を一つ紹介する。
一般的な日本人は、特に英語の経験が浅い時期では、定冠詞と不定冠詞の使い方が良く分からない。”a”や”the”のことである。説明されて頭では分かったとしても、何か話したり書いたりする段になると、よほど注意を払わない限りそれらの用法が途端に曖昧になる。これは僕ら日本人がそういうやり方で物を考えてこなかったからである。日本語では名詞に注意が行く。然るに英語では対象が既出か初出であるか、可算か不可算であるかを先ず意識するという。この点はピーターセンが強調した知識である。その知識が有ったとして、日本人はその運用が身に付いていないので無意識的にスルーしてしまい、意識は名詞に囚われるのであるという。この言語運用の基底となる無意識の働きをスキーマという。日本語運用のスキーマが英語の文法的に正しい運用を妨げているわけである。英語と構造の異なる言語を母語とする人が英語を運用したい場合はこの点も克服しなければならない。英語のスキーマを習得するということである。
それではスキーマはどうやって身に付けることができるのか。その詳細は本書を見ていただきたい(という以前に覚えていない)。一つ言えることは、言語の習得は歩行であったり太極拳であったり他の身体運用の習得と同様の作業である。次の動作を頭で考えるまでもなく、各筋肉が無意識に一つの流れとして自然と連動するようになるまで、身に沁み込ませないと使い物にならない。例えば日本語で「かき」と言う時、「かき」と連動して無数の言葉やイメージが頭に浮かぶ。そして「かき」やその連動したものはその文脈に相応しいか場違いであるかが何となく分かる。言葉にできなくても違和感を肌で感じる。こうした無意識の作用(?)はスキーマのほんの一部分に過ぎないのだが、これをお手軽に身に付けるなんてことは恐らくできない。そこで本書が紹介するのは認知科学的に効率の良い学習法である。
僕は学生の頃に英語の勉強には時間をそれ程費やした覚えが無いのだが、英語は苦手では無かった。それは知らず知らずのうちに本書で紹介される学習法の様なものを、勉強としてではなく娯楽として実行していたからだろうと思う。例えば洋画鑑賞。基本字幕で、気に入ったものをセリフを覚える位に繰り返して観ていた。その後も気に入った朗読CDは何度も繰り返して聴いた。熟読も良いという。先日少し紹介した関口存男のドイツ語習得法はこの極端な例である。朗読CDに関しては、今ではAudibleであるが、ここ10年くらい一通り聴くのみの「多聴」になっていて、残念なことに多読・多聴は言語の習得という面ではあまり意味がないという。内容を知りたいだけなので構わない。
僕は英語以外にも複数の外国語を食い散らかしているのだが、そのどれ一つもスキーマを身に付けるところまで学習していない。この点も、それらの言語を「運用」したいのではなく、文法や単語を知識として知りたいだけなので、それで良いのだと強がっておく。最後に、教育に熱心な親なら気になるであろう事柄で、本書に出てきた注意点を一つ。自分の子供を日本語・英語のバイリンガルに育てたいからと英語の幼児教育を仕込む場合は、特殊な環境でない限りあまり効果はないかもしれない。日本語にあまりに偏った生活環境では、英語の多くの情報をスルーしてしまうのだ。