明の太祖 朱元璋

以前は手あたり次第読んでいた歴史小説を最近は全く手に取らなくなった。読まなくなった理由は色々ある。小説というジャンルが発明した「描写」という技法は作者が想定する情景を、その事に関する共通体験を持たない読者に対しても、ある種のイメージとして浮かび上がらせる作用を持つ。作者と読者ではそのイメージを浮かび上がらせる土台となる経験が一致しないので、両者のイメージが一致することは決してない。その上で、作者は言葉の選択や場面の切り取り方、採用する逸話の選択などなど様々な要素の組み合わせで、自身の望む方向に読者を誘導しようとする。その最たる例は推理小説で、作者はあらゆる手を使ってミスリードを仕掛ける。歴史小説もその点は大差なく、作者は歴史的事実(と言うべきものが有るとすればの話だが)を意図的に歪める。或いは空想で補う。この主観による誘導が少々しんどくなったのだと思う。揚げ物ばかり食べていると飽きるようなものである。

表題書のような歴史に関する書もまた人の手による以上、著者が意図するある種の誘導を必ず受けるが、それは「歴史小説」にしばしば見られる類の、対象物の形を歪めるような脂っこい操作ではない。対象物の形を歪めることなく、それを何処から眺めるか、という誘導である。これを一般的にその本の「テーマ」という。最下層に生まれ、疫病と政治的混乱で喘ぐ元朝を打倒し、その後の明・清朝に跨る皇帝中心の治世の基礎を築き、恐怖政治による孤独の中で没する朱元璋という人物に関する伝記、研究は数多いという。その中で300ページ足らずの本書は「元末明初の知識人の動向、朱元璋と江南地主との絡み」というテーマで朱元璋の一生を辿る。貧農の子が儒教的君主へと成長する。彼の目指すところは、民が其々の身分をわきまえ、安心して暮らせる場を提供することにあった。その理想は変動の無い社会である。儒教的思想は彼を「聖賢」と成し、また後年の恐怖政治と大粛清へと導くこととなった。あっさりした本が好きな人にはお薦めである。