昆虫食と文明

『美味しんぼ』を読んでいて『料理の鉄人』を思い出し、動画サイトを探して少し観ていた。この番組は英語吹替版 (Iron chef) も有り、”If my memory serves me correctly”から始まる英語は明快で分かりやすく、リスニング練習に良い。キャビアから納豆、イチゴまで本当に多様な食材を取り扱っているが、僕の記憶が確かなら、昆虫がテーマ食材になったことは無かった。

刺身や小魚が西洋諸国でも食べられるようになったのはここ最近のことであり、目玉が嫌、などと少なからず抵抗感を示す人も未だに多い (一般化してそれだけ間がない)。現在の日本では郷土食、意識が高い人たちの輸入嗜好品でしかない昆虫も同様に、スーパーで普通に並べられるようになるまで少なくとも10年程度はかかると思っている。供給体制が整うまで少なくともそれくらいは必要であろう。言うまでもなく日本では昔から、山間部では不足しがちなタンパク質の供給源として、イナゴ、カイコ、ざざむし等を食べる習慣が有る。これらの食材が其の儘では一般化し得ないのは、供給が少なすぎ、他に安価なたんぱく質源が入手できるからだ。見た目の気持ち悪さは関係ない。エビやシャコを貪る僕たちが昆虫を食べ物として見るようになるには、ほんの少し認識を変えるだけでいい。10年あれば認識は大きく変わる。

表題本は昆虫食をただ薦める本ではない。ある種の昆虫はエネルギー効率や土地利用の点で牛・豚・鶏・羊の食用家畜四天王を凌ぐ優良食品になり得るので昆虫食を薦める一方で、それに伴う問題点も指摘する。例えば昆虫が一般的に食べられる東南アジアではそれだけ多くの昆虫が天然に育成する環境がある。同様の食生活を中・高緯度地域で推し進めることはできない。蜂の子やざざむしが高級品になったのには其れなりの理由が有るのである。野生の昆虫を採集する行為は自然環境の破壊も伴う。ウィチェッティグラブを収穫するにはどういう作業が必要か思い出してもらいたい (『美味しんぼ』第35巻を参照)。なら養殖すればよい、という単純な話では済まない。人類は牛・豚・鶏・羊や米・麦を飼い慣らすことで無自覚に自然環境、生態系を大きく変えてきた (ユヴァル・ノア・ハラリによれば、人類はそれらに飼い慣らされたらしい)。 且つて人類が牧畜・農耕を始めたころには参照すべき歴史や生態学は無かったのだが、現代はそうではない。

このように、本書の面白さは昆虫食の多面的な考察である。手短に生物としての昆虫の来歴、特徴や人類との関係、昆虫食の倫理的側面も語られる。ただし、僕はこの本を手放しに薦めることはできない。一般的に北米(著者はカナダ人なので北米と言っておく)で出版されるこの手のノンフィクションは話題を盛り込みすぎる傾向に有る。取り扱う話題が多岐に及ぶのみでなく、一つのテーマにも様々な用例や比喩、引用を盛り込み、悪く言えば節操が無い。難しい内容ではないので理解は易いのだが、読み辛くなる。この点は英語のリズムと日本語翻訳の差が原因かもしれず、英語原文の朗読なら聴きやすいかもしれない。

(傾向的な)節操のなさに関しては恐らく、北米と日本の出版業界の違いに関係が有る。北米では本を出版することが日本ほど容易では無く、数少ない機会を得た作家はここぞとばかりに力を籠めて執筆し、言いたいことをアレもコレもと盛り込む人も中にはいる。その結果、日本ではちょっと見られないような傑作ノンフィクションが生まれる一方で要点が定まらずに読み辛い本が有ったりする。以上は僕の想像に過ぎないが、例えば書店に一年経っても同じ本が平積みされているのを見れば、それ程見当外れでもないと思う。日本の出版状況の方が寧ろ特異なのだろう。同じような内容の、中身の薄い本が次々と出版される状況は異常に思える。

上に載せた本は表題本より手軽に楽しく読める。ただし新書なりの内容の薄さで、僕たちが普通は食用と認識しない身近な昆虫の食レポに毛が生えた程度に過ぎない。最後に、僕は幼い頃に虫を採り過ぎたかもしれない。上の方に偉そうなことを書きはしたが、バッタ・キリギリス・カマキリの類が一杯詰まった虫籠に身の毛もよだつ気持ち悪さを感じて以来、彼らが大の苦手で、これを読んだからといってそう簡単には食べ物と見なすことはできそうもない。

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