日本語の発音はどう変わってきたか
或る古代ギリシャ哲学者が残した著作の解釈に関する、日本人の専門家が書いたモノグラフをひと月ほど前から読んでいる。問題の著作というのはその哲学者自身の思索を約800行の韻文形式で書き残したとされるもので、現存するのはその内の160行程度。全て写筆の手により、そこから多種の解釈が試みられてきた。そのモノグラフの著者も重要な先行研究に言及し評価つつそれぞれの誤り(例えば間違った仮定や推論など)を指摘し、自身の解釈を披露する。こう書くと簡単に読めそうであるが、問題は、僕には何について議論されているのか良く理解できない点である。恐らくこの本を読むための前提条件を僕が満たしていないのが原因であろう。それでも部分部分は何も難しいことを言っておらず平易だし、ちょっと時間が空いた時などに1ページ2ページずつ読んでようやっと半分程度まで来た。タイトルは読み終わるまで伏せておく。
分からないなら中断して構わないのだけれど、そうしたくないのはギリシャ語の語彙や文がそのまま載せられているというのが理由の一つである。現存の160行が古典ギリシャ語のまま(著者の翻訳付きで)巻末に載せられていているのも、元が2000円程度の本としては有難い。折角なので、以前少し齧って挫折した古典ギリシャ語を再開した。『しっかり学ぶ初級古典ギリシャ語』の未だ前半部分だが、以前には全く”foreign”と感じた語感が少し馴染みのあるものに変化していて、それだけでも挫折した甲斐?が有ったと言える。そろそろ当書では最初の関門となる動詞の時制変化形(未完了過去、アオリストなど)に差し掛かっており、ここが乗り越えられるかどうか。
さて表題書。読み終わって一週間ほったらかしにしていたので、だいぶ忘れている。結構細かい内容なので一読しただけでは十分に把握出来ておらず、後半は飛ばし読みしてしまったのだけれど、かなり面白かった。趣味でやっている外国語学習に出てくる音声上の変化と共通する変化を、日本語も長い変遷の過程で経験していると分かったからであろうか。例えばフィンランド語(確かトルコ語やハンガリー語でも)の母音調和(口内の前の方で発音する母音同士、奥の方で発音する母音同士で単語を形成する)、子音pkt周りの変化、古典ギリシャ語の母音融合(母音が連なるとより発音しやすい形に変わる)等など、例が幾つも出てくる。
奈良時代の発音の復元に関しては二つの幸運に依るところが大きいそうである。一つ目は大量の資料(万葉集)が万葉仮名で残されていること。当時の発音に対応する漢字が使われており、漢字群の系統だった使い分けから、例えば現代では同じ「い」と表記される音でも異なって発音されたことが推測できる。これは表記が固定化されていない万葉仮字だから可能な推論で、平安時代以降の様にひらがな表記になると、同じ文字に発音の変化が起こった場合は追跡できなくなる。二つ目は、万葉仮名の漢字の読み方には中国の当時の王朝であった隋・唐時代の発音が使われている点。漢詩の最盛期を迎えたこの時代の発音(漢音と呼ばれる)は後代に熱心に研究された。万葉集の編纂以前の、より初期の日本語の発音については、万葉集よりさらに古いとされる古事記から僅かながら伺い知ることができるらしい。
それまで日本(語)には無かった事物や概念の流入に伴い語彙が複雑化し、発音の省エネ化原則に従って日本語は変遷してきたのだが、地方地方で古い発音が残っている(残っていた)というのも面白い。詳細は本書で確かめて頂きたい。そうそう、日本で漢字の異なる読み方が混在する点に関して、それぞれ仏教伝来時に流入した仏教用語中心の呉音(六朝時代の音;天女のニョなど)、遣隋・唐使が持ち帰った行政関係の漢音(隋唐時代;女性のジョ、行政のギョなど)、禅宗用語の唐音(宋時代の音;アンドンなど)、加えて訓読み、を今も(日本語的発音で)使っていることを本場の人に話すと興味を持ってもらえる。
同時に読んだ『英語達人列伝II』も面白かった。各達人のエピソード集なので興味が有る人にはお勧め。登場するのは加納治五郎、夏目漱石、南方熊楠などなどである。どの達人にも共通するのは幼少時に漢文の素読をしていたことが取り上げられていたが、素読と外国語習得力に因果関係があるのか、それとも相関関係に過ぎないのか、もう少し踏み込んで考察して欲しかった(何かしら書いてあった場合は恐らく読み飛ばしてしまった)。素人考えでも因果関係は有りそうだけれど、環境的な要因も無視できなそうだしね。そしてコミュニケーションを重視する現在の英語教育の影響かどうか、東大で英語を教える著者によれば東大生の英語力は年々落ちているそうである。高度な外国語力を身に付けるには、上手い人の文章を読んでその言語のリズムや表現を習う必要があり、素読(への姿勢や習慣)とはここで繋がる。