ヒエログリフを解け

古代エジプト文明の繁栄は紀元前約3000年前から共和政ローマに滅ぼされた紀元前30年まで約3000年の長期に渡り、あのクレオパトラから現在までの時間的隔たりを遥かに凌ぐ期間で継続した。これだけの年月を通して使用された言語が均質であるとは到底考えることができないが、恐らく建造時に使われていたであろう言葉がヒエログリフを用いて遺跡表面にびっしりと記録されている。それが文字なのか唯の装飾なのかすらこの千数百年の間は誰も確かな所は分からず、ナポレオンのエジプト遠征時に発見されたロゼッタストーンにより、初めて解読の手掛かりが得られる。こうして始まったヒエログリフの解読競争を描いたのが表題書である。

手掛かりといっても併記されるギリシャ語から記述内容が読み取れるだけで、ヒエログリフ自体がそれにどう対応するのか全く未知の状態から手探りで始める他ない。左右どちらから読むのか、単語の区切りも分からず、そもそも文字が音を表すのか概念を表すのかすら不明であった。ヒエログリフが書き表す言葉(古代エジブト語?)自体が忘れ去られており、古代エジプト語と系統関係が有るかも知れないと考えられたコプト語も17世紀(?)には死滅状態だったらしい。

ここに最初の楔を打ち込んだのが本書の中心人物の一人、イギリス人物理学者で万能型の天才・ヤングである。彼はエジプト人にとって外来語(プトレマイオスなど)にあたるヒエログリフ表記を特定し調べ上げて幾つかの文字の音素を突き止める。この成功以降、彼は誤った仮定を置いて間違った方針を採ってしまい、解読からは遠ざかることになる。彼の成功を更に進めたのが一点集中型の天才・シャンポリオンであった。彼の根気強い研究により、ようやくヒエログリフの読み方が判明する。

各文字はアルファベットの様に子音(pとかmsとか)と対応し、セム語系言語と同じく母音は表記されない。この表記では同表記の異義語が出てくるので(例えばshpでship, shop, shapeを表す)、区別するために語末に単語の種類・分類を表す接尾辞が付く。この接尾辞によって単語の区切りも分かる、などなど。この業績により古代エジプトの研究が進む一方で、ヒエログリフに纏わるある種の神話、即ち当時では忘れ去られた古代異文明の深遠な叡智が記されているという神話、が霧散する。謎の手掛かりの象徴であるロゼッタストーンの中身も、王の偉業を誇張気味に書き記したプロパガンダに過ぎなかった。

死の数年前、シャンポリオンは念願のエジプトに初めて旅行した。このとき訪れた王家の谷にて、或る遺跡に記されたヒエログリフに興味を惹かれている。当時世界でただ一人彼のみが読むことのできたそのヒエログリフには、其れ迄どの資料でも見たことのない王の名前と、女性を表す接尾辞が記されていた。この歴史から抹消された女王の名は、有名だと思うけれど、ここには書かないでおく。

本書は目立った難点が一つあり、アメリカ人の書くエッセイやノンフィクションで良く見る書き方だと思うのだが、文単位での話題転換や用例が無駄に多くて文章が散らかっていると感じられる。もし興味を持たれた場合は、最初の数ページを立ち読みして肌に合うか先ず確かめるのをお勧めしたい。そうそう、マイナスポイントはもう一つあった。同じテーマを取り扱った『ロゼッタストーン解読』が新潮文庫から出ており、こちらはずっと低価格である。本書は読み始めて直ぐにaudible版を見つけ、creditも余っていたので早速聴き始めた。朗読は聴きやすいし内容も既に知っているので多少聴き逃しても平気なのだけれど、知っているが故にこのまま聴き続けるかちょっと迷ってしまう。