ドイツ語とドイツ人気質

読んだのは講談社学術文庫版

先日書店で文庫の棚を眺めていて、ふと目に留まった本書。数年前のドイツ語に嵌っていた際にも一度読んで読書会に持って行った本であるが、当時から絶版だったので未だ置いてあるとは思いもしなかった。中身はすっかり忘れており、懐かしさも合わさって読んだ次第。エッセイなので大したことは書いてないんだけど、語学関係の読み物はどうしてこんなに楽しいんだろうね。何処で読んだかもう忘れてしまったが、日本人が趣味として西洋の外国語を学習する場合に、音要素だけを考慮してみると、母音がハッキリして明朗なロマンス語方面(フランス語はムニャムニャして少し異なるかもしれない)と子音が強調されるドイツ語方面に好みが分かれる傾向にあるそうな。僕は断然ドイツ語派。単語や例文を、子音を強めにブツブツと呟くのは何とも言えず気持ちが良かった。ロシア語もドイツ語組に入り、こちらは口の中が振動する感じが心地よい。

本書を読んで猛烈にドイツ語かロシア語をやりたくなり、夜中に寝床から這い出して箱詰めの蔵書をごそごそと漁ってみたものの、どうやら両言語の教科書類は全て処分してしまった。翌日書店で適当なドイツ語の教科書を購入して読んでみたが、知っていることばかり(単語は忘れているが)で「なるほど」体験が無く、全く退屈である。ロシア語は結構高いしなあと思って蔵書箱を漁り直すとスペイン語の、ミッチリ書いてある感じの文法書が見つかった。これは中々良い。音の好みに関しても、ラテン語・フィンランド語と巡っている内にロマンス語派に変わったかもしれない。

又してもドイツ語から遠ざかりつつあるのだが、聴く側の立場に立った場合はドイツ語の音はやっぱり大好きで、僕がAudibleで持っているタイトルの中でも最も耳に心地よい朗読の一つが『指輪物語』のドイツ語版であることは変わらない。何時か聴き取れるようになるかどうかは怪しいけれど。ドイツ語をやっている当時から難しいと思っていた要素の一つが動詞の枠構造である。要するに、一文を最後まで聞かないと意味がはっきりしない。よくよく考えてみるとこの事情は日本語でも同様で、最後に突然「ではない」と付いて意味が引っ繰り返ったりする。が、別段不便さを感じないところを見ると、慣れの問題なのだろう。

ドイツ語に素晴らしい朗読が多い(ように思う)のには確りした理由が有り、本書によれば(注: 1988年に書かれた本である)、専門家や著者自身による朗読が文化に根付いているそう。これは英語圏も同様かもしれず、僕が初めてアメリカに行った際に最も驚いたのは、書店に本の朗読CD/カセットが沢山並んでいたことであった。一方で当時の日本では落語と古典文学(『徒然草』など)の他はあまり出回っていなかったと思う。これはドイツ語・英語が音による伝達を重視しているのに比べて、現代日本語が読み書きにより重心を置いているからだろうか。後者では音だけからは意味がハッキリしないケースが多々ある。勿論このことが日本語の面白さの一要素でもあることは疑い無い。そして書かれたものにざっと目を通して大雑把に意味を把握する、という側面に限れば日本語は非常に優秀な言語であり、あまり日本語が上手くない中国人同僚もこの点は感心している。当然彼は漢字が分かるし、重要な言葉は漢字で書いてあるのだから。

今もそういう認識が有るのか分からないが、僕が学生の頃はフランス語が音の美しい言語の代表とされていた。一方でドイツ人は自国語の響きを醜いと思う人が多いと本書に有ったのだが、そのことに関しては僕も著者と同意見である。つまり、ドイツ語の方が響きが美しく、音楽的である、と。それはたぶん、抑揚(強弱のアクセント)がより強く、子音がより豊かで、唾が前により飛びやすかったりするからだろう。さらに、他言語に比べると舌や口周りの筋肉を使う強度が高いらしく、小顔効果があると何処かで聞いた。

前後して読んだのが『翻訳語成立事情』。例えば「社会」や「存在」など計10個の翻訳語に注目し、それぞれの成立事情を解説した本である。それらは西洋の文献等で当たり前のように使用される言葉だが、守備範囲がピッタリと重なる概念がそれ迄の日本「社会」に「存在」しなかった為に、相当な試行錯誤を経たようである。この様な外来の概念・事物を取り入れる際、日本語が主としてやるように外来語として取り込むか、幾つかの言語の様にその言語の「やまとことば」を援用するかに傾向が分かれるように思われる。後者の例として、例えばフィンランド語などは色んな輸入物(パソコンや携帯・スマホなど)を自国の言葉で表現している。ドイツ語も後者の傾向が強かったと思う。一方の日本語。熟語やカタカナが標識となって外来語と分かるのは便利だし重要な言葉は多くの場合外来語なので、文章は確かに読みやすい。でも、それらが表す対象の「輪郭」(守備範囲?)は字面からは明確ではない(ことが多い)。僕も「存在」を説明して欲しいと頼まれると困ってしまう。

楽しみなAudibleタイトルが2つ。一つ目はニック・レーンの”Transformer: The Deep Chemistry of Life and Death”、物質とエネルギーの流れが生体の構造を決定する基盤である、という感じの話のようだが、例によって説明が細かくてサラサラと流れていき、少しでも油断すると迷子になる。難しい。本書は近い内に日本語訳が出る筈である。

二つ目はカルロ・ロヴェッリの”Anaximander: And the Birth of Science”。アナクシマンドロスとは良いところを突く、流石である。本書は実は2010年(うろ覚え)位に英訳版が出ていて今更感が強いのだけれど、有るなら有るで有難い(日本語に慣れていない人はこの文をどう解釈するのだろう)。僕も一冊手元に置いているが、英語を読むのはどうしても時間がかかるのでほったらかしていた。