ボタニカ

チョコミント配色のカバーデザインが良い

最近は本を読む時間がそんなに取れないのに、読みたい新刊書が沢山有って困った。最も楽しみにしているのが昨日購入したばかりの二冊『カルロ・ロヴェッリの科学とは何か』と『『その他の外国語文学』の翻訳者』、加えて『ヴィトゲンシュタインの『哲学探究』という戦い』と『岩石と文明』(最後のはそんなに新しくないけれど)。講談社学術文庫と現代新書、中公新書の今月出版分にも興味を惹かれるものが幾つかあって、ついこの前に本を処分したばかりなのに、また本が増えてしまう。昨日購入したという2冊、本来は先週末の出版とあったのだが入荷が遅れたらしくて行きつけの書店で見つからず、その代わりに手を出したのが本書である。平積みの話題書を通り過ぎつつチラ見し、「おやっ」とつい二度見してしまった。この人物を取り上げたのはアイデア賞ものであろう。

生物学を専門に勉強した人か植物に興味がある人なら何処かで目にしたことがある名前である。富太郎の一人称視点から発せられる土佐弁が何とも気持ち良く、スッと浸透してくる。何でだろう、土佐弁に他で接したのは『竜馬が行く』くらいなのに。その竜馬ほどではないけれども、江戸末期から明治・大正・昭和初期に活躍して名を遺した人は多かれ少なかれ波乱のある人生を送っており、昔の植物分類学者としか認識していなかった彼の人生もまた小説一冊に値するものである。

彼は日本に自生する多くの植物種に学術上の名前を与え、その後に続く生態学の基礎を築く一人となった。科学は対象とする物のきちんとした分類(つまり名付け)から始まる。科学は言葉を介する活動なので当然である。では彼の仕事それ自体は科学と呼べるのか、僕にはよくわからなくなる。科学とは自然現象の因果関係を言葉で説明し、その説明を裏付ける一連の活動のことだろう。言い換えるなら、自然現象に根拠のある予測を与える為の活動である。ただし、上はこの項を書きながら考えた僕のでっち上げなので、「科学とは何か」を確かめるためにカルロ・ロヴェッリの助けを近い内に借りることにしよう。そのロヴェッリの新刊書、原題は「科学的思考法の誕生」的な意味合いなので、日本語タイトルには納得いかないのだけれども。さて、彼の分類学が科学と呼べるのかどうかは、言葉の分類に過ぎないので大した意味は無い。

本書はまだ半分とちょっとしか読んでいないのだけれど、ロヴェッリと『その他の外国語文学』の方が気になってしまって、中断するかもしれない。その場合、続きは2023年に放送されるらしい朝ドラで見ることにしようと思う。