世界はラテン語でできている
堪能した。と言いたいところだけど、知っていることも多くてそこそこ。英語や日本語で一般的に使われる、ラテン語を起源とする語彙を分野別に紹介した、ただそれだけの内容である。例えば、以下は本書の一節の記述内容をほぼそのまま掻い摘む形になるが、英語で候補者を意味する “candidate” はラテン語の “candidatus”(「公職志願者」、本来の意味は「白い服を着た」)に由来する。選挙候補者は成人男性の正装であった “toga” を漂白した白いトガ “toga candida” を着ていた。「白い、誠実な」を意味する形容詞 “candidus” は「輝く」という意味の動詞 “candeo” から派生する。この “candeo” は「蝋燭」”candela” となり、”candle” や “chandelier (「シャンデリア」)” の語源となる、などなど。語源好きならもっと楽しめるかもしれない。
僕個人としては、比較的簡単にそれと分かる語彙レベルの影響だけでなく、分詞構文を用いた表現法などの表現レベルでの現代語への影響やレトリックなども紹介されていればなお良かった。これを書きながらふと浮かんだのが、最近色んなメディアで「〇〇のそれ」という日本語らしくない表現に接することが増えた(と感じる)こと。多分、英語でまさにその表現があるので日本語でもそのように言わないと、と気を回し過ぎているのだろう。一旦耳に馴染むと使用頻度も増えるから、新しい(?翻訳書では昔から目にしていたかもしれないけれど)日本語表現として定着することになるんだろうね。僕にはまだ翻訳語的な人工物感が感じられるけれど、時間が経てば「全然」自然に聞こえるようになるのかもしれない。「全然」だってもう違和感がないことだし。ラテン語に話を戻すと、例えば現代英語に浸透するこの種の影響は少なくないと思われる。
最も興味を惹かれた箇所は本書の最終盤にある一節:「日本語の起源はラテン語!?」。そこに紹介される怪しげな本『ラテン語と日本語の語源的関係』が気になってアマゾンで探してみると、絶版でかつ中古もそこそこな値段だった。こじ付けと的外れな推測を楽しむ本に払うのも勿体無いので、見送ることにする。本書でサラリと言及された内容だけでも十分楽しい。例えば「どいつ(何奴)」の語源として “de istud”。”istud” は “de” と共に用いられる場合は語尾を変化して “de isto” (「それについて」)とされなければならない、と表題書著者は指摘する。こじ付けレベルの推測と誤ったラテン語知識、うーん読みたくなってきた。
『ファラオの密室』は「このミステリーがすごい」大賞作ということで読んでみた。本書巻末に載せられた過去受賞作のタイトルを眺めると、何冊かは読んだ筈だけど殆ど記憶に残っていない。結論から言えば、本作も一週間後には記憶から消えるであろう、そんな一冊だった。これなら、最安値でももう少し高い『ラテン語と日本語の語源的関係』の方が良かったかなあ。
舞台はアメンホテプ4世とその子ツタンカーメンが統治する古代エジプト。王墓建造時に事故に遭って命を落とした神官がミイラとして蘇り、事故の真相を解明するというファンタジーである。物語の説得力が弱く、例えば主要人物の一人である奴隷少女の結末は余りに安易であり、小説世界内のリアリティに欠ける。アイデア(だけ)は良いのに、色々と残念な作品である。映画か漫画の原案としてならアリだろうと思う。
話は変わって『ソウソウのフリーレン』。何かの賞を受賞した頃に一巻目が無料だったので読んでみたことがあり、当時は好みに合わなくてそれ以上読もうとは思わなかった。そうしてこの前、多分『ダンジョン飯』のアニメを観たからだろう、アニメ版がお勧めに上がっていたので先週末に何気なく観てみると、これがかなり良い。落ち着いた物語が淡々とテンポ良く進む点がいい雰囲気だし、アニメ特有の大袈裟な喋り方が少なく、特に主人公の単調な口調が何より好印象。少しずつ観ていくつもりである。楽しみな事が一つできたなあ。