嘘の木

以前に2度ほど読もうとしては前半部分で止めてしまった表題書、ようやっと読み通した。初回は2015年くらいだったかな、audibleでお薦めとして挙がっていたのを聴き始めたのだが、陰鬱な内容の本書を女性の朗読者が感情を込めて読むため、内容よりも耳障りさが勝って、冒頭1時間程度で止めてしまっていた。

『種の起源』が発表されて間もない頃のイギリスで、少女が社会の理不尽に向き合いつつ成長するお話である。牧師で且つ尊敬される博物学者でもあった父親が化石捏造の咎で学会を追放されたため、少女の家族はとある島に移住することになるのだが、父を批難する都会の新聞記事は島へも直ぐに伝わり、間も無くして父が死体で発見される。父の死が自殺ではなく他殺であったと確信する少女は自殺の疑念(キリスト教世界では自殺は重大な罪となる)を晴らすために残された父の書類を探り、やがて彼の秘密を知ることになる。

女性の自立が制限されていた当時の社会において、この聡明な少女の強かな行動力が本書の魅力の一つである。そして物語の大半を通して少女とは決して良い関係とは言えなかった母親を含めて、他の幾人かの女性達の振る舞いもまた、不自由な立場で生き抜くための強かな知恵や戦略であることが物語の最後に明らかになる。少女はそういう生き方を理解して、それでも「進化(論)のお手伝い」をして「悪い例(女性の学者)になりたいの」と、キリスト教と社会の固定観念に立ち向かう決意を表す。長い梅雨が抜けて晴天がカラッと広がった、そんな爽快な読後感である。一方、現実(関東の方)はずっと晴れ続きで、昨日は炎天下の中30分ほど歩いて頭がクラクラしてしまった。

語学趣味の方はニューエクスプレスシリーズのポーランド語が終わって、ポーランド語をこのまま続けるか迷い出したところ。というのも同シリーズのタタール語の方が気になってしまったからである。どちらにせよ始めるとそれなりに時間を取られるし、今はちょっと気分を変えて上に挙げた『日本語の隣人たち I+II』で他にも色々触れることにした。以前に『日本語の隣人たち』I・IIとして出版された二冊の合本で、日本周辺のマイナー言語をそれぞれ8言語ずつ、計16言語を紹介した内容である。

他の言語と系統関係が見つからないので「孤立した言語」とされる日本語であるが(現在では琉球諸語を入れて日琉語族と言うんだっけ?)、時代を遡れば何処か現存の枝と繋がらない筈はなく、近隣の言語との接触を経て現在の様態になった。この変化過程は民族移動と文化間の力学だろう。そういう、多分ずっと古い時代に日本語と周辺言語が経たであろう歴史の一端をもしかしたら垣間見ることができるかも知れない、という意味でも僕にとって本書は興味深い。本書の分量と対象範囲程度では素人には何も分からないだろうが。

喋れる人が数少ない言語もあるとあって録音音声はシリーズの他の言語ほど綺麗で明瞭なものではなく、一通りチラ聞きした中で僕が気に入ったのはイテリメン語(カムチャッカ半島の言葉)、サハ語(シベリア東部)、ユカギール語(シベリア北東部)、エスキモー語(シベリア・ユピック語、シベリアの東端部からアラスカのセント・ロレンス島辺り)である。それぞれ三章づつしかないのが惜しい。イテリメン語は日本人にはどう読んだら良いのか分からないくらいの子音連続音が特徴である。エスキモー語は単語の語尾に色んな要素を付け加えて意味内容を拡張させるので、一語で(勿論それなりに長くなるの)一文の意味を持ったりするのが面白い。

ちなみに、エスキモーが「生肉を食らうもの」という蔑称だとするのは間違いだそうで、本来は「カンジキを編むもの」という意味らしい。差別用語は受け取り手が決めることであり、「エスキモー」という呼称が既に蔑称として受け取られているカナダの人たちに対しては、彼らの言語であるイヌイット・イヌピアック語で「人間達」を意味する「イヌイット」と呼ぶべきで、それ以外の地域では「イヌイット」という言葉は何の意味も持たず、「エスキモー」も蔑称と認識されていないので「エスキモー」と呼ぶのが「より正しい」と書かれている。

収録言語は他にセデック語(台湾)、ホジェン語(中国北東部の黒龍江辺り)、ニヴフ語(カラフト)、樺太アイヌ語、オイラトモンゴル語、シベ語(天山山脈の北側)、ゾンカ語、ブヌン語(台湾)、ハワイ語など。サハ語と樺太アイヌ語の他はすべて消滅危機度の評価において「危険」・「重大な危険」・「極めて深刻」的状況にある言語だそうな。前者は2002年の調査で50万人ほどの話者が居り、後者は死滅かな?。仮に何れかの言語をもっと勉強したくなったとして、サハ語以外は日本語で書かれた教科書が無さそうなのが難点で、サハ語も英語の教科書的な本はちょっと探しただけでは見つけられなかった。ロシア語なら当然有るのだろうけど。

そのような事情が影響してかどうか、数日前から寝床でロシア語の初歩的な教科書を眺め始めた。『これからはじめる ロシア語入門』。決して欲張らない内容と分量で、初学者の場合は先ずキリル文字に慣れないといけないことだし、一冊目としては最適だと思う。僕も以前少し齧った程度の初学者ではあるが、ストレスなくスラスラと読み進んで結構楽しい。興味本位で手を出しやすい価格も長所である。ほんの近況報告のつもりで書き始めた語学趣味の部分が、表題部よりも長くなってしまった。言語周りでもう少し書きたいことが有ったのだが、またの機会に。