ことばの樹海

売り払う本を年末に纏めていた時に出てきた本の一冊で、随分と前に買ったまま忘れていた。著者である千葉栄一氏の著書は『言語学を学ぶ(ちくま学芸文庫)』や『外国語上達法(岩波新書)』が大変面白かった。本書は氏が幾つかの雑誌に書いた文章を纏めて一冊の本にしたもので、北米の滅びゆく言語を収集した研究者の話や海外青年協力隊に寄せた文章など雑多な内容が並ぶ。出版年も1999年とあって内容は少し古いようだが、特に面白かった章が「一番難しい言語」、「言語に優劣はあるか」と「もう一つの文法」。正直なところそれ以外の幾つかは結構難しかった。

最初の「一番・・・」はアメリカの外務省がリスト化した言語習得難易度に関する話題で、リスト自体は今では色んな所で目にするので目新しいものではない。単純に説明すると、個人の学習能力別(低・中・高)に、各習得レベル(レベル1・2・3)へ到達するのに掛かる凡その時間からそれぞれの言語を4グループに分類したもので、語彙と文法構造が英語に近い言語は最も簡単なグループ1(ラテン文字表記で語尾変化を消失したインド・ヨーロッパ語族の多くがここ)、遠い言語はグループ4に分けられる。ここで重要な点が二つ。先ず、グループ1の言語でも習得レベル1に達するのに240時間かかるという点。二つ目は、習得能力の差は時間を掛ければ埋まる(と外務省が考えている)こと。

グループ4に入るのはアラビア語・中国語・日本語・朝鮮語など、英語といろんな面で異なる言語である。アラビア語と同じセム語系のヘブライ語はグループ3に入っているのが面白いが、これは現代ヘブライ語は近代に整備されて均一なのに対して、アラビア語はフスハー(文語)と各地域の口語方言を学ぶ必要があるからである。日本語は話すだけなら簡単な方じゃないかと思うのだけど、どうだろう。朝鮮語も他のアルタイ語やウラル語が並ぶグループ3が妥当だと思われる。どこで読んだのだったか、言語は進化(簡便化)が進むと、それらの言語に共通する特徴である膠着語的になるそうな。例えば現代ペルシャ語も語尾変化を消失してこの要素を持っていた。確かに膠着語の文法は複雑な語尾変化が伴う言語に比べて覚えやすい。さて、日本語話者視点ではどうなるかだが、中国語や朝鮮語は習得しやすいグループに入る一方で、アラビア語やスラブ語系などアメリカ人が難しいと感じる言語はやっぱり難しいと思われる。個人的にはデンマーク語もグループ4。本家版でこれがグループ1なのが信じられない。

「言語に優劣はあるか」は「もう一つの文法」とも関連する内容である。こちらが書きたいことの本命だったのだけど、ここまでで長くなってしまったので手短に紹介するに留める。要点は、言語に優劣は無い。ある言語が使用される社会的現実において、その言語は十分に機能するという意味である。語彙面で言えば、新しい概念の流入によって語彙が不足する場合は、明治時代の日本語の様に新しく翻訳語を作るなり、現代日本語の様にそのまま音を転写して借用するなりして補える。

文法面ではどうか。「文法」という枠組みは、西欧人が古典ギリシャ語やラテン語の習得に際して考え出したもので、形態論(語の変化の規則について)と統語論(語から文の組み立て方)からなる。そもそも形態論は文法性や単複の区別が有って、格に応じた語尾変化(動詞の活用や名詞・形容詞の曲用等)の複雑なインド・ヨーロッパ語族の言語だからこそ成立する枠組みである。中国語に形態論は無い(思い違いであればすみません)。英語でも粗干乾びているといって差し支えないと思う。これを以って中国語や英語が単純で劣った言語であるとは、誰も考えないであろう。

どの本で読んだんだったかもう忘れてしまったが、とあるインドネシア人学生がその本の著者に向かって、「インドネシア語には文法が無い」と、自身の母語を見下げる(残念がる、かな?)発言をしたそうな。印欧語の枠組みで考えれば確かに乏しいかもしれない。ここで「もう一つの文法」と繋がる。詳細は本書を参照してもらうとして、一部だけを書くと、文の中で重要な要素は英語でも日本語でも通常は文末に置かれる。複雑な語尾変化を保持しているおかげで語順が比較的自由なラテン語等と異なり、ほぼ消失した英語では語順に自由が利かない。そこで英語では受動態が多用されるようになったらしい。日本語の場合は一般的に動詞が文末に来るが、これは日本語が動詞中心の言語だからだろう。

『潜水鐘に乗って』は一月ほど前に購入してチョビチョビと読んでいた短編小説集。コーンウォールを舞台にした(たぶん)少し不思議な話ばかりである。まだ半分ほどしか読んでおらず、紹介はまだ先にしようかと思っていたのだけど、昨日読んだ漫画『うみべのストーブ』と雰囲気が似ているのでここで載せた。『うみべのストーブ』の方は「このマンガがすごい!2024」のオンナ編第一位である。表題の一編は彼女に振られた青年が使用している電気ストーブが突然喋り出した、というシュールなお話。全編を通してシュールさがあり、かつ少し物寂しい。このシュールさを減らして物寂しさを倍にすると『潜水鐘に乗って』の雰囲気になる。内容はここでは紹介しないが、漫画の方が気に入ったなら小説の方も気に入るかもしれない。