ラテン語のはなし
先ずは近況から。またヘビを一匹買ってしまった。少し前にも同じ言葉を書いた覚えがあるが、その時の個体、今年の初夏?頃に孵化したと思われる、まだ幼蛇のブラックラットスネーク・リューシスティック(白色化遺伝子のホモ接合体、以下リューシ)が余りに可愛いので、オスのそいつとペアになるメスの個体を求めて先週末に同じ店に行った。リューシがもう居ないのは分かっていたが、白色化変異のヘテロ接合体であるラスティーというモルフが2匹居たのを覚えていたのだ。ブラックラットスネークのラスティで検索してみると、どんな柄のヘビか分かると思うが、アダルトになると暗褐色に赤焦げた茶色が所々混じる、まあ薄汚れた感じの、汚いヘビである。ワビサビのサビを、寂と錆で漢字は違うがよく体現していると思う。茶人好みと言えるかもしれない。僕もかなり好き。因みに、リューシスティックはギリシャ語のleuko(白)に由来する言葉で、同言語由来では白血病のリューケミアが有名。ラスティは錆びた、という英単語である。
一つだけ気に掛かることがあり、ラスティもリューシと同時の仕入れらしく、サイズもほぼ同じなので(物怖じの無さも同じ)、もしかしたら同じ親から生まれた個体だろうかと考えもしたのだが、雌雄判別の結果は二匹ともオスとのことで、無用な懸念となった。僕のガッカリした様子を察したのか、店主が勧めてくれたのが今回購入したハイポメラ二スティックというモルフ(通称ハイポ)のメス。字義通り、黒色色素(メラニン)が減少した(ハイポ)という変異である。ラスティ(と前回はリューシ)に目を奪われており、居ることに全く気付かなかった。この種のノーマル個体は黒っぽい色になるが、ハイポになると黒が弱まるのでミルクティーの様な色合い(店主の表現)になるという。この種は北アメリカ大陸東部では高緯度地域まで広く分布する、ごくありふれた種類のヘビだそうで、それ故(?)コーンスネークやボールパイソンと違ってそれほど頻繁には流通しない(様に感じる、これは飼育初心者としての印象)ので、迷わずに購入した。ハイポとリューシは互換性が無いので、一世代目にはラスティ(ヘテロでハイポ)が拝めるはずである。上手く行けばの話。
ヘビの話をもうちょっとだけ。好きなので。一息ついてじっくりと店内を見渡してみると、凄く良いヘビが他にも居るのに気が付いた。例えば、コーンスネークのアネリスリスティック(タイプC)でテッセラ(+ストライプ?)という個体は、利休なら飛びついただろうと思われる激渋具合である。因みにテッセラとストライプは模様の変異。その前のカタカナ単語は色の変異で、否定辞のA(an)に赤色を意味するErythristicが合わさって、赤色色素を欠いているという意味になる。レオパのアルビノ(アメラ二スティック)と同様に、コーンスネークのアネリスリスティックにも発現タイプが3種類あり、区別するためにタイプA、B、C等と付いたり、色合いを基にチャコールやシンダーと呼ばれたりする。この個体はコーンスネークにしては値段が張って、唸りながら3分ほど真剣に考えて今回は見送った。まだまだ他の種、僕が飼いたい種の上位に入れている、北中米のラットスネークのとある種やキングスネーク・ミルクスネークなどの為に、飼育スペース(と懐)に余裕を確保しておかねばならないのだ。
さて、ハイポ等の言葉はギリシャ語であった。或る程度集中しないと身に付かないと感じて中断した古典ギリシャ語であったが、いずれは再開したいと思っている。その前に、今はラテン語である。フラッと始めて気付けばもう三か月以上が経ち、相変わらず牛の歩みの進展度ではあるが、益々面白くなってきている。上に載せた『しっかり学ぶ初級ラテン語』がとてもよくできていて、もし同じくラテン語を齧ってみたいという人がいれば一押しでお勧めしたい(他の学習書を知らないけれども、他言語の同類書との比較で)。僕は忘れてきたなと感じたらまた最初の方から並行して読み進めるような読み方をするので、現在4ライン進行になってしまった。はるか以前に、ラテン語は(ギリシャ語と比べて)簡単などと豪語したかもしれず、此処で訂正しないといけない。アルファベットたった一文字で動詞の時制や人称、単語の意味が違ったりするので、結構ややこしい。古典ギリシャ語と比較すると素直で学習しやすいというのは本当だと思うが、僕にとっては決して易しくはない。
もっと知りたいと思って手に取ったのが表題の『ラテン語のはなし』であった。スポーツジムでたまに自転車を漕ぐ間に読むだけなので、こちらも読み始めてから随分と時間がかかっていて、オリンピック前に購入したのでもう2か月ほどずっと持ち歩いていることになる。「文法」と書かれてはいるが、本書で文法を学習しようとは思わない方が良いと思う。あくまでも副読本的読み物である。上の学習書もそうであったが、本書も歴史的名言に溢れている。その表現の簡潔さが、僕がラテン語を気に入っている理由でもある。幾つか例を以下に紹介すると、
“vita brevis, ars longa” 「人生は短く、技術(あるいは芸術)は長い。」作品は作者の死後も残り続ける、的な意味で使われることが多いが、本来は、技術(一芸)を習得するには人生は短い、といった感じの意味らしい。
“tu fui, ego eris” 「我は汝であった。汝は我になるであろう。」墓碑より。あなたもいずれは死ぬだろう、的な意味。
“per asprera ad astra” 「困難を乗り越えて星々へ」。星々とは栄光のこと。同じような表現で、「こうして人は星々を目指す」というのもある。出典は確かアエネイス。SFっぽくて格好いい。
“homines dum docent discunt” 「人間は教えている時に学ぶ」。真理である。学童の成績はこういうところで差が付き、そして開いていくのだろうと思う。
“carpe diem” 「(今日という)日を摘め」。今を生きろ。ロビン・ウィリアムズが教卓の上に立って言った場面が有名。そういえばあの子達はラテン語を勉強していたのだった。同類の言葉に、「永遠に生きるように学び、明日死ぬように生きろ」的なやつもある。
“victi vicimus” 「我々は負けて勝利する」。「負けて勝つ」という言葉が有るが、ラテン語のこの言葉からは主語も明らかである。この簡潔さが素晴らしいと思う。
“Graecia capta ferum victorem cepit” 「占領されたギリシャは野蛮な勝利者(ローマ人)を征服した」。ローマ人のギリシャコンプレックス。文化と同様にラテン語もギリシャ語の影響を多く受けていて、特に韻の踏み方はギリシャ語方式を取り入れ、元の形式(あった筈である)がどうだったか今となってはハッキリしないそうな。ラテン語にはエトルリア語からの影響も入っていると思われるが、王政時代のトラウマから、ローマ人によってエトルリア語は痕跡が徹底的に破壊しつくされたので、復元するには手掛かりが余りに少ないらしい。
最後に、まだ読んでいないけれど、上に載せた本を再び購入した。以前買って、積読のままこの先読むことも無いだろうと思い売ってしまったのだった。