カント『純粋理性批判』入門

Audibleで先日から聴き始めた “The Beak of the Finch”(日本語訳『フィンチの嘴』) が漸く終わり、以前にも少しだけ紹介した “Humankind: A Hopeful History”(日本語訳『Humankind 希望の歴史』)を再び聴くことにした。その内容を簡潔に要約するなら、人間は協調性がある社会性動物である、という感じになるだろうか。協調性の源は利他性(または非利己性)である。因みに著者は導入部分において、ドーキンスの『利己的遺伝子』を読んで気が滅入った、と書いているが、遺伝子レベルの「利己性」は進化のメカニズム(的な意味合い、適切な用語か僕は分からない)に於ける原則(的な意味合い)のお話であって、此処に人が後付けで捻出した価値基準を当て嵌めるとおかしなことになる。行動レベルでの利他性は遺伝子レベルの「利己性」の結果である(と思う)。ゲーム理論的に言えば、ミニマックス戦略のようなものである(逆に利己的行動は局所的な最適化かな?)。人の社会ではこの利他性(または非利己性)を「善」と名付けて尊重してきた。そしてこの(概ね)善的性格こそが、ヒトが現在繫栄している理由の一つである。とても面白く、サラッと読める内容なので、まだ読んでいなければ一押しでお勧めしたい。

本題。以前から頭と舌の体操的なやつとして、カントの『純粋理性批判』を少しづつ朗読していると書いた。速度重視の朗読という落ち着かない読み方なので覚悟はしていたのだが、読みやすいと評判の光文社版、7分冊中の第3巻も半ばを過ぎて振り返ってみると、何が書いてあったのか、まるで分からない。何やら「人の認識の範囲を決めよう」的な事柄がテーマになっているくらいは幾ら何でも分かるのだが、詳細がちっとも頭に入って来ないのだ。しかし、全くのチンプンカンプンという訳ではなく、部分部分は意味が何となく理解できるように思える。多分、用語を日常的範疇で解して、その場その場で無理やり筋を通しているのだと思う。だから各要素が上手く繋がらない。分からないまま読み進めるのもアレなので、全体として何が書いてあるのか、前もって解説書を読んで知っておくことにした。

近代哲学の金字塔というだけあり、カントには英語・ドイツ語も含めて多様な解説書が本当に山の様に出版されていて(わざわざ外国語で読むようなしんどい真似はしないが)、どれを読むか一寸迷った。最新のものでは、昨年末に角川選書から700ページを超える大著が出ている(『カント 純粋理性批判 シリーズ世界の思想』)。これなどは用例も豊富で分かりやすいと評判らしいく、いつか読んでみたいのだが、本の入門書としては度が少し過ぎているように思う。1/10の地図は必要なく、1/1,000~1/25,000程度で十分なのだ(因みに地図の例は表題書から)。第一持ち運ぶには大き過ぎて、僕には読む機会が激減する。そこで購入したのが表題書。20年前の本で現在は絶版だそうだが、多分2024年に講談社学術文庫から再版されると予測している。本書はルーブル美術館の見学ツアーで例えるなら三大展示作(モナリザ、ミロのヴィーナス、あと何か)のみを巡る所謂 “Louvre Light” のようなものだそうだ(ツアーの例も本書から)。

さて、本書に拠ると、『純粋理性批判』の最も根源的な成果の一つとして、「経験の可能性の条件が、経験の対象の可能性の条件である」とある。何やら分かりそうで、でもやっぱり分からないこの言葉の意味は、次のように理解できる。「時間・空間とカテゴリーによって成立する対象世界、即ち現象世界は人間の認識形態が成立させた世界であり、これについては人間はア・プリオリに認識できる」。この文についても、幾つもの解説が必要に思われるが、それは僕の理解を超えているので本書を読んで頂きたい。『純粋理性批判』は我々の認識が「客観的妥当性を有していると主張しうるための条件は何か」ということを追究した書物なのである。

読んでいる最中はとても分かりやすく面白いと思った本書だが、いざ紹介しようとすると大半を忘れ、殆ど理解できていなかったことだけが良く分かった。『本は読めないものだから心配するな』は的を得ている。もう一度本書、或いは類書を読んでみようと思う。より詳細な紹介は、その時にまた。