仏教の歴史 いかにして世界宗教となったか
久しぶりに映画を観てきた。『イコライザー』以来、約2ヶ月ぶり。『ゴジラ−1.0』の評判が良い様なので観に行きたいなと思っていたところ、より興味を惹かれる映画、『枯れ葉』(フィンランド・ドイツ合作)が上映されていて、急遽そちらに変更。ゴジラは先延ばしにしても大丈夫だろうけど、『枯れ葉』は今行っておかないと、来週辺りにはもう怪しい感じだし。一番小さい上映室で朝夕の一日2回の上映。朝の回に入ってみると、意外と結構混んでいた。その場に居た約二十人程度の内の何人かはフィンランド語学習の同志なのだろう。親近感が湧いてくる。
映画自体は、登場人物全員が見事なまでに無表情で、ちょっと幸せな場面で主人公の女性の口角が少し上がる程度。所々に何気ないユーモア(?多分)が入り、観ている方がニヤッとする。会話は少なく、文字に起こした場合に最も文字数が多いのは静かなシーンの背後に流れていたニュースラジオ(ロシアのウクライナ侵攻)だろうか。(ちなみに、2024年の設定だったので、侵略戦争はまだ続くというメッセージだろう。)フィンランド語を聞きたかったので、この点は残念だった。せいぜい聞き取れたのは挨拶や短いフレーズと簡単な単語のみ。ストーリーは緩やかに展開し、80分の上映時間がちょうど良く感じた。『ミッション・インポシブル(最近のやつ)』がカヌーで激流下りだとすると、この映画は沼に浮かべたボートに乗ったかの様。今年観た中ではダンジョンズ&ドラゴンズに次いで好きかもしれない。ゴジラの方は、先送りにしてきた『君たちは・・・』も合わせて、他に観たいものも無さそうな年末年始のどこかで観ることにしようと思う。
表題の『仏教の歴史』は何だか難しくてよく消化できなかった。全体的に平易な書き方なのだけれど、そもそも仏教自体が僕にはよく分からない。神々が、仏教世界にもし居たとして、どういう存在で、ブッダとどのように関わるのかも知らない。何せ僕が経験として知っている仏教は中国・朝鮮を通じて伝わった一枝の、そのまた分化した一葉を体験したに過ぎないのだから。木の全体をフランス人が眺めた場合、最も特徴的なのはその多様性ということになるらしい。多様性の原因は色々あるだろうけど、ブッダ(本書では主にシャーキャムニ〈シャカ族の聖者という意味のサンスクリット〉と表記される)自身が現地の言葉に翻訳して布教することを指示したことも一因かもしれない。そのブッダが使用を禁じたサンスクリットが後に仏教の公用語となり、極東地域で梵語と称されて影響力を持ったのは皮肉な展開である。なお、ブッダがサンスクリットを禁じた理由はヒンドゥー教の影響を排除したかったからだそうな。そして人工的に整備されたサンスクリットは他宗教との論争等において結局便利だったということである。
『ニューエクスプレスプラス ノルウェー語』をやっと終えた。同シリーズでは、コロナ流行の少し前辺りからこれ迄に、もう十数冊のマイナー言語(日本での語学的な意味で)に目を通してきたが、良かったという記憶が殆ど無い。バスク語とグルジア語はちょっと好きだったけど、これは興味が勝ったから。形式化された会話文と中途半端な文法パート、これまた中途半端な音声という構成が肌に合わないんだろう。『ノルウェー語』も後半は義務的に続けたようなもので、早く切り上げたくて仕方がなかった。
さて、目当ての『テーマで学ぶノルウェー語』が出るまで少し時間が空いてしまった。アイスランド語に行ってみたい気もするけど、あくまで片手間の学習としての、楽しさ(快適さ)とストレスの釣り合い点を超えそうな気がして少し怖気付いている。慣れと経験次第ではあるが、僕の場合は古典ギリシャ語がこの釣り合い点を超えていて、ある程度以上進めると急に整理するのが難しくなりストレスになった。アイスランド語はニューエクスプレスの他に大学書林からも一冊出ているが、レビューを見るとどうも古語が中心らしい、などとAmazonを巡っていて見つけたのが『自習ノルウェー語文法』。200ページ程度と比較的薄い本ではあるが、パッと見たところ情報がびっしり詰まっているようで、冒頭に置かれた音声の解説も詳しく、これは期待できそうな本である。
前書きによると、ノルウェー語学習書の殆どの例と同様に本書もブークモール(本の言葉)を中心に取り扱っているが、ニーノシュク(新ノルウェー語)も前者との比較のために一部取り上げるとのこと。実に素敵。因みに前者はデンマーク語の書き言葉をノルウェー語の発音に合わせた文語体系であり、こちらが主流。後者はノルウェー各地の方言(つまり伝統的な言葉)から新しいノルウェー語を確立するという方針によって生まれた書き言葉。両方とも公用語である。そうそう、デンマーク語も、以前に齧った際には音声が聞き取れず、その結果発音も思うようにできないという意味で釣り合い点をストレス側に超えた言語だった。いつかまた挑戦したい。