ペッパーズ・ゴースト

どこで話したことだったかもう覚えていないのだが(そもそも話したことあったかな?)、小説を読んでいると時折食堂やレストランを思い浮かべることが昔からある。外食が好きではないので詳しくは無いのだけれど。喫茶店はよく行くので、そっち方面がやや多い。そういう場所でその著者を読んだ時の印象が強く残っているのか、或る場所の雰囲気と作風がなんとなくマッチすると感じるからか、多分そんなところが原因で、似たような経験、例えば音楽と何かのリンクとか、は誰にでもあるだろうと思う。僕の場合は司馬遼太郎と或る大衆食堂(今も有るのか分からない)、ムツゴロウ(畑正憲)とごく普通の菓子パンが売っているようなパン屋、星新一と新幹線の食堂車、使ったことは一・二度しかないけれども。アガサ・クリスティも食堂車で、これはあの作品の印象が強すぎる。逆のケースももちろんあって、ドラマの『孤独のグルメ』をアマゾンプライムで見ていて、「ああ、この店はあの人(のアレ)だな」、と閃く?事もある。

伊坂幸太郎は僕の印象では郊外にあるような、高級ではなく、ちょっとオシャレで明るい喫茶店と重なる。表現に遊び心があり、至る所に伏線が張られている。そして爽やか。つまり、僕はかなり好きなのである。本作は唾液を介して(飛沫や飲みかけの飲料から)その人の翌日の出来事をフラッシュフォワード的に垣間見る特殊能力を遺伝で受け継いだとある中学教師と、猫虐待動画の支援者たちを痛めつけるよう依頼を受けた「ネコジゴハンター」二人組のお話。最初ネコジゴハンター達は中学教師が受け持つ生徒が書く小説の登場人物として登場するが、いつの間にか現実の人物として、教師と行動を共にしている。何を言っているのか良く分からないだろう。僕自身、小説と現実の転換点がいつだったのか良く分からなかった(伏線は幾つもあった)。ニーチェも伏線として使われ、詳しい人なら結末が読めたのかもしれない。中盤以降やや重い展開となっていたが、この伏線の回収により、実に爽やかな読後感となった。本作はアレだ、バニラアイスが浮いているメロンクリームソーダ。

運動として水泳やサイクリングばかりしている老年者は骨粗しょう症に注意しないといけないと言われる。それらの運動は強度としてはそこそこなので、筋肉の収縮の為にカルシウムが貯蔵庫である骨から流出する一方で、骨への刺激が入らないので成長?が乏しくなり、骨のカルシウム収支がマイナスになるからだそうな。この著者(他のベストセラー作家も含めて)も、何の抵抗もなく余りに滑らかに読めてしまうので、読解力の為に本くらい読もうとしてこの類ばかりを選んでいると、かえって読書力の骨格を失うことになりかねない。このようなことを書く僕の骨格も随分ほっそりしているのだけれど、これも大衆食堂や郊外の喫茶店に通いがちだからだろう。僕の大雑把な分類では、この類の本は漫画・映画と同列の娯楽であり、もし子供が常時読みふけってるとしたら、もう少し骨の有る本も紹介するのが大人の役割だと思う。でも、娯楽としてはこの上ない。