ラウリ・クースクを探して
この前、ある人がアニメ版『フリー・・』について語っている動画を見た。動画自体(具体的な詳細は省く)は少し前のものだったと思う。社会的潮流に敏感で文化教養も深い彼の論調は、いろんな作品のアイデア元を世相と先行作品(小説なり漫画なり、それ以前に流行ったり評価を受けたもの)に落とし込んで分析する傾向があるようで、その回はファンからの批判的コメントが多かったそうな。丸々同意できる訳ではないが、彼の批評は一理あると思う。例えば『ダンジョン飯』を土壌(作品が成立する環境)から引っこ抜いてみると、『D&D』など先行するファンタジー作品や料理漫画が当時流行っていた事などがズラズラと根っこに絡まって出てくる。これは作者自身が意識していようがいまいが、そうなのだ。仕事上、僕自身もアイデアの根元には何があるかということを気にする方なので彼の意見に共感したのであった。あらゆる物には由来がある。『フリー・・』を最初に漫画で読んだ時に、よくある話だと思って一巻で中断したのも、もう覚えてないけどそういう事を感じたんだろう。補足しておくと、「よくある話」という事と作品自体の面白さは別物で、今ではそこそこ面白いと思っている。
表題の『ラウリ・クースクを探して』。微かに見覚えのある著者名、紹介欄で『盤上の夜』を書いた人だと気付く。あれは面白かった。結果から言うとこれも面白かった。舞台はソ連崩壊前後のエストニア、天才プログラマーの半生を追った偽史である。そもそもエストニアと言われても、ネーメとパーヴォ・ヤルヴィ親子(指揮者)とエストニア語くらいしか思いつかない。そんな辺境地(言葉が悪くて申し訳ないが、情報が少ないと言う意味で)の、何でもない一般人の伝記を創作するというアイデアに先ず感心する。中盤まで語り手の素性を明かさないという点もちょっとしたアクセントになって良い。何となく分かるように書かれている。言葉数少なくあっさりした物語だが、情緒深くて好き。Amazon風に採点するなら星5つ。このサイトで紹介しなかったものも含めて、今年に入ってから読んだ小説5冊の中では、本書が一番。
上と直木賞を争ったのが『ともぐい』。受賞記念の帯の文句に「熊文学」とあり、思わず手が伸びたのだが、どちらかと言えば「熊猟師文学」。自分の人生を雄熊の生き方に準える主人公や白糠の街の人たちが個としての生存競争に身を置くのに対して、最もか弱げに描写される陽子は生命の繋がりの中に自身を位置付け、生命としての雌性(しせい)の本性に最も近い心境で生きている様に思われる。強かで、生々しくて、怖しいと思った。女将さん(八重子、だっけ?)が嫌っていた節があるのも納得がいく。『クースク』の方が好きだけど、これもAmazon風採点なら星5つにしないといけないなあ。ヌメヌメした絡まりを丸呑みしたかのような落ち着かなさがある。
以下、現在気になっている本。先ずは『嘘の木』フランシス・ハーディングの新刊。面白さに疑問はないんだけど、創元社なので高いなあ。もう少し出せばもっと読みたいやつがあるし。
西行は良い。稀に歌集をパラパラと捲っているのだが、これはマウンティングである。
『ゴキブリ・マイウェイ』は近いうちに読みたい。クロゴキブリやチャバネゴキブリは勘弁して欲しいが、海外の森林に住む動きの遅い種は結構可愛いと思う。以前に爬虫類の餌として購入したデュビア(アルゼンチンモリゴキブリ)は暫くのあいだ飼育していた。
これは発売日が暫く先だけど、何かの記事で取り上げられているのを見て気になっていた。社会的動物であるヒトの一員として、マウンティングは人生のスパイスだと思う。だからこそSNSが流行る。自分一人でひっそりと続けている趣味なども、そういう場で明かしてしまうのは、やはりマウンティング本能がヒトの本性に根付いているからだろう。僕も、余計な事を言ってしまったなあと後悔することが多々。