一投に賭ける

最近読んだ中で最も驚いた本だった。面白過ぎるという理由で賞を逃した本とも聞く。ソウルオリンピック前後の時期に活躍したやり投げ選手溝口氏の競技人生を自伝風に一人称「私」視点で書いたノンフィクションである。僕も子供の頃に、えらく男前でマッチョな選手が居るなあとテレビで見たことを覚えている。あまり記憶に残っていないのは、90年代になって急に放送されるような大会に映らなくなったからだが、90年代後半に30代半ばで現役を引退して、パチプロとして生活し、その後実家の後を継いで農家としてトルコキキョウを栽培しているそうだ。パチスロ時代には当時大学生だった室伏広治を指導して大きな影響を与えた。

ガキ大将気質で人見知り、プライドが高くて負けず嫌いという性格である。やり投げでも農業に於いても業界の常識は疑ってかかり、自分の頭で考えた方針を考えてそれを貫く。情報やノウハウが今のように容易に手に入らない時代である。やり投げのようなマイナー競技に関しては猶更、どのように助走してどのように投げるのが最適か、成功例と身体感覚に従う他は誰も確かなことは言えなかった。身長180㎝と競技者としては恵まれない体格の溝口氏が独自に導いた結論は、ウェイトトレーニングだった。

やり投げのメカニズムは多分こうである。助走で横方向のモーメントを稼ぎ、これを左足で急激に止め、行き場のなくなったモーメントを体幹から腕へと伝えて最後槍に乗せ、発射させる。この時体幹の捩じる力と大胸筋のバネを上乗せする。野球のボールを投げる時のように肘を使わないのは、アトラトル(手持ち投槍器)のようにテコの原理を最大限に使いたいからだと思う(ひょっとすると槍はボールより重いので肘が持たないからかもしれない)。身長が高く腕が長い方が当然有利である。

体格で不利な彼はライバルたちに勝つために、助走を他の選手よりも速く、腰を前に屈めて走ることにした。より速く走り、より急激に止める為には筋力が必要である。前屈した腰椎は静止時に、勢いのまま前方へと押し出され、投的時には後ろに反った体制になる。弓に例えれば、より強く引き絞られた状態になる。静止の衝撃は体が悲鳴を上げる程で、この動きによって彼の5つの腰椎はボロボロになり、肋骨を骨折したこともあるという。そして体幹と大胸筋の力は弓の反発力のようなものである。要するに、彼は短くてもカチカチの強弓を目指したと言える。多分。

その為に彼が実行したと言う、ソウルオリンピック前頃のトレーニングメニューが載せられていたのだが、これには本当に魂消た。ほとんどがウェイトトレーニングで、ベンチプレスの場合は一日の総量で100tを上げると言う。この個所、僕は「ふーん」と読み過ぎて数行のち、「ちょっと待て」と二度見してしまった。例えば一回100㎏を上げるとして、10回1セットとする。普通の人はこの1セットもできないと思うのだけど(因みに僕は自重でしか運動していないので、恐らく自分の体重分程度、65㎏くらいを上げるのがやっとだと思う)、これを100セットこなす計算になる。拮抗筋も鍛えないといけないので、懸垂500回も一緒にやる。なお、これはトレーニングメニューのごく一部に過ぎない。こんな強度のトレーニングを毎日12時間行う。筋肉が疲労し切って(オールアウト)からが本番で、さらに続けていると、体を守るために脳が掛けた疲労感(リミッターともいう)が外れ、もう一段力が沸いてくるらしい。彼は基本的に一人なのだが、この時期に一緒にトレーニングした大学生たちは余りの辛さに泣き出したそうだ。驚くようなものを読みたい人には一読を勧めたい。なお、これらのウェイトトレーニングは全てやり投げの為なので、各動作に彼自身の意識ポイントがある。

彼は自分のやり投げのスタイルを「力まかせ」と言った。同時に「精密機械」とも形容する。この二つの表現が並ぶところをなかなか見かけないけれど、何となく陸上の投擲4種目のすべてに当てはまる表現だと思う。記録が比較的安定しないのがその表れで、投擲は力が前提の技術種目である。力一杯出さないと勝てないけれど、自身の習得した理想の動きから少しでもズレると記録が出ないのだ。彼はアメリカで幻となった世界記録87mを出し(色々と陰謀?があって再計測、最終的に記録更新に数㎝足りない結果となった)、以降82~84mで世界のトップ争いを繰り広げ、怪我で70m台しか出なくなった際に、再び80m台を目指すために最後の工夫、頭を振って投擲に力を加える、を導入して達成する。潔く男らしい性格かと思ったら言い訳じみた発言(公言はしておらず、本書で漏らしているだけ)も多く、人格的には好きになれない人物だ(と読めた)が、実行力は素直にすごいと思った。

やり投げは規格が一度変わって記録がリセットされている。旧規格では東ドイツの選手(実に怪しい)によって104mという当時圧倒的な記録が出され、陸上競技場でやっている関係上、これ以上飛ぶと危険と言う理由から飛びにくい槍へと変更された。そして新規格において、溝口氏のライバルの一人であったヤン・ゼレズニーが1996年に98.5mを記録し、再び100mに迫った。ハッキリわからなかったが、これは新旧含めて多分歴代二位の記録。ゼレズニーは身長186㎝と、溝口氏と比べてそれ程高くはなく、体重はより軽い。そんな体格の選手がほんの数年間の内に10m以上も記録を更新するところにやり投げの難しさが見て取れると思う。ゼレズニーのこの記録は、記録の突出度を測る或る指標ではボルトの100mの記録を上回っているという。桁外れなのだ。

溝口氏がコレと決めて目指した技術体系は恐らくやり投げの技術体系の最適解ではなかったのだろう。しかし、それは誰でも習得できるとは限らない。肉体的な様々な制限から、彼自身がこの競技のトップに立つために彼が目指した方向は正しかったのだろうと思われる。日本記録は未だに彼が保持しているのだから。それに、競技人生の短い種目では紆余曲折している余裕など無いのだ。読後に頭に浮かんだ格言は “Ars longa, vita brevis”。芸術作品は作者より長く残る、と言う意味ではありません、念のため。