孔丘

もう10年近く通い続けている大手スポーツジムのロビーには色んな企業の宣伝ブースが度々入っていて、今は交流磁場を当てて健康を促進させると謳う医療器具が試用スペースを置いている。試用は原則1日一回とされており、新しく人を誘う度に追加で使用ができるそうで、僕がよく言葉を交わすお婆さんがこれに嵌ったらしく、僕も一緒にお試しする羽目になった。装置は椅子の背もたれ部分に置いてあり、その物自体は熱を発しないが、交流磁場(50Hzと言ってたかな?)という事は多分電子レンジと同じ様なものなので背中がかなり暖かくなり、眠気を感じた。営業者のつまらない話を聞き流しつつ20分、体験が終わってそのまま帰路に就いたのだが、どうも頭の中がフワフワする、というか軽い乗り物酔いになった感じで気分が良くない。寝付きが良くなる、というのが売り文句の一つだったのだけれど、その晩は寝入るのに時間が掛かった。その装置の良さを知るには僕は未熟だったのかも知れない。かの偉人が天命を得た年齢に僕もそろそろ差し掛かるのだけれど、天命の気配も全く感じないし。

少し前に宮城谷昌光の昔読んだ本を再読したついでに、新しく文庫版で出ていた『孔丘』を読んだ。この人の小説は坦々として面白い。いつでも中断できるけどいつまでも読めそうな平かさが僕は好きである。著者が描く孔子その人については特に言いたいことも無く、以前に著者が他作品で登場させた人物達と交錯するのは楽しく読めた。晏嬰(晏子)って何処かで見たことある名前だけど誰だったっけ、と記憶を揺すぶられる。

約10年前からフラッと始めた、好みの言語を求める旅はまだ続いていて、不惑もまだまだ先になりそう。これ迄にも好きな言語は幾つか有ったのだが、その周辺も気になってしまう。僕が好きな言語とは概ね、良い教科書があり、聞いて耳に心地良く、僕自身が気持ちよく朗読でき、歴史がある言語。ウェールズ語は結構気に入ったのだけれど、もう少し知りたいとなると高価な洋書を探すほかないので中断して、ペルシャ語に入門することにした。始めてまだ一週間程度の時点での感想は、文法事項は結構簡単で覚え易い。アラビア文字は難物で、幾つかの母音はアルファベットで表記されないため、ある程度知っていないと読み方がわからない。当分の間はラテン文字かカナでの併記で確認する必要がある。そして新しい文字を覚える際の通過儀礼というか、目がかりが得られなくて、目を離すと何処を読んでいたか度々見失う。使っている教科書の紹介はもう少し学習が進んでから。

好きな言語の条件に日本語の古文が当て嵌ることにふと気がつき、何気なく手に取った『古代日本語文法』。いきなり古典作品を読み始めてもある程度は分かる筈だけれど、文法事項の大部分は記憶から抜け落ちていることだし、文法書から入るのは僕のルーティーンである。隙間時間にしか読まない(読めない)ので未だ冒頭部分しか目を通せていないが、本書はかなり面白い。どう面白いかはまた後日に。