ラインズ 線の文化史
いやー、面白かった。この本に関しては、内容を要約するのは難しい、と言うより意味がないかな? 著者の記述を辿って来た道を振り返ってみると、あっちにフラフラこっちにフラフラと脇に逸れ、足跡が定まらない感じがする。でも、その散策先には必ず何か興味を惹くものが待っていて、そっちへ踏み出した理由に、なるほど、と納得がいく。主張の全てに納得したわけでは無いし、よく理解できない箇所も多々有ったのだけれど。
それにしても面白い視点である。「歩くこと、織ること、観察すること、歌うこと、物語ること、描くこと、書くこと。これらに共通しているのは何か?それは、こうしたすべてが何らかのラインに沿って進行するということである。私は本書において、線lineについての比較人類学とでも呼べそうなものの土台を作ろうと思う。」と冒頭で導入される。そして発話と歌の区別から、記述物と楽譜、筆写と印刷、などなどの考察へと足を伸ばす。
面白い記述箇所を一々取り上げたらキリが無いので、適当にページを繰って見つけた例を幾つか紹介すると、「生命の生態学は、交点と連結器ではなく、糸と軌跡の生態学でなければならない。その研究は、生物とその外的環境のあいだの関係ではなく、網細工状に組み込まれた生物それぞれの生活の道に沿った様々な関係を扱うものでなければならない。生態学とは、要するに生命のラインの研究なのである。」これに関連して、「ベルクソンは、すべての生物は流れに放り込まれた小さな渦巻きの様なものだと主張した。」「生物は何はともあれ、ひとつの通路である。・・・生物は存在するというより、出現するのである。」さて、何の通路なんだろう。
もう一つ、これは最後の段落。「著作の結論にやって来ると、さあ今までの議論の糸を束ねようと筆者は宣言するものだ。しかし私がこの本で示してきたのは、糸を束ねることは世界のなかにひとつの場所を築く方法であるということだけではなく、束ねられた糸はそれぞれが相変わらず伸び続ける先端をもち、それらが今度は別の糸とともに別の結び目をつくるということである。・・・その無限性 ー 生命、関係、思考プロセスの ー こそ、その価値を感じて欲しい。・・・重要なのは終着点などではない。それは人生も同じだ。面白いことはすべて、道の途中で起こる。」要約と言えば、この箇所が本書の要約であると言っていいかも知れない。
一言で「線」と言っても同一ではなく、またその起源は多様である。にも関わらず、まるで生物の収斂進化のように、僕たちが無数に多くの「線」を知覚し、類似物であるかのように想像してしまうのは、人間の思考法にそのような傾向があるからなのかも知れないと、ふと思った。或いは生命そのものがラインであるからか。著者の名前は『人類学とは何か』が面白かったので頭に残っていた。スピノザ全集の新刊も未だ出る気配が無いことだし、引き続きもう1冊くらい彼の著作を読みたいところだけど、そろそろ何か小説を読みたい気分でもあり、どうしようかなあ。
『エルサレムの歴史と文化』は何気なく読み始めた一冊。同新書レーベルにこれと似たタイトルの本がもう一冊あり、どちらにするか悩んだ。名所とその背景にある歴史・伝説を紹介しただけの内容なので大して面白いものではない。