言語学を学ぶ

サッカーW杯がそろそろ始まるけれど、ちっとも話題に上がっていないように感じるのは僕だけだろうか。そもそも僕は普段サッカーを観戦したり調べたりしないし一般的なニュースも稀にしか見ないので情報が入らないのかも知れない。始まれば多分いつもの様に、色々とチェックしつつ観戦するだろうと思う。サッカーはともかく、この冬はスキー(アルペン・ノルディック共に)のW杯シリーズが観たくて某スポーツ動画配信サイト(いつもツール・ド・フランスを観ているサイト)のウィンタースポーツ・パックに月額課金してみたのだが、10月11月は1試合づつしか放送がなくて、何だか費用対効果的に考えて勿体無く感じてしまった。少し気が急いたようで、どうやら12月からが本格始動のようである。当たり前だ。10月の大回転は雪が足りずコース設定に苦労したそうだし、ジャンプは人工芝?の上を飛んでいた。

さて表題書。一般に言語学と呼ばれる分野は細分すると音声学・音韻学・比較言語学や社会言語学などなどに分かれ、かなり前に読んだ『フリースタイル言語学』の著者は確か音声学の専門だった。外国語の学習を趣味にしているとしても、通常の語学者(語学をする人)は言語学の専門分野がそれぞれどういう事象を取り扱っているのか普通は知らない。なにせ語学と言語学では指し示す対象が随分と異なるのだから。日本語の「語」と「言語」は似ている様で、僕たちは微妙なニュアンスを捉えて慎重に使い分けている筈である。言語学とは日本語でも英語(ラテン語)でも単語の由来が表すように、主に口を使って音声的に信号を伝達する行為全般にわたる事象を取り扱う学問分野で(僕が勝手にでっち上げた定義なので鵜吞みにしないように)、科学の対象となる。一方の語学は科学の対象にはなり得ず(言い切っていいか分からないけれど)、敢えて言うならアート(技術という意味)の領域である。

で、表題書。本書はそんな門外漢や初学者を対象に、言語学の下枝分野がそれぞれどういう事象を研究対象としているかを分かりやすく解説した読み物である。例えば音韻論の冒頭の一節に、「言語の素材である人間の言語音を取り扱う言語学の分野は二つあり、その一つを音声学、もう一つを音韻論という。音声学の方はことばの言語音を知覚し、音響学的に調査し、調音することを研究する。音韻論は音的構造の構造的・機能的合法則性を研究する。換言すれば、音韻論は言語音がことばを構成する、意味を持つより複雑な単位ー例えば形態素なり語なりの構成要素として果たす役割を研究する。」とある。「分かりやすく」と僕が先に書いたのは決して間違いではなくて、上の説明が何を言っているのか分からない人は本書のこれに続く個所を読んでもらいたいのだが、そこで取り上げられる例は誰もが「アーハー」と腑に落ちる筈である。

面白いと思った個所は幾つもあるのだが、その一つ一つを紹介すると切りがないので割愛する。本書の元々の初版は2002年だそうで、その元になった文章は1980年代に書かれたものであるらしい。各章ごとに著者お勧めの入門書数点が書評と併せて紹介されるのはとてもありがたいのだが、何れも古い本ばかりなので、岩波新書の数点を除いて殆どが品切れ状態であった。そもそも購入できないので読めない(図書館で探しなさいというのは無しにして)のと購入できても時間が無いので読めないという状態とではどちらが精神的に幸せで居られるだろうか。

そうそう、著者が本書の文章を書いた当時には、日本語は特殊な言語であるとする説が有ったそうで、この主張をする人の多くは比較する言語として英語(あるいはその近縁の印欧語)しか知らないからであると著者は喝破している。日本語とシュメール語が遠い親戚(同祖?後者由来?)とする説などは僕もユーチューブで観たことがあり、阿保らしいので詳細は触れない。系統関係はともかく、日本語とシュメール語には共通点が確かに有り、それは他の殆どの言語には無い特徴なのだが、その共通点とは何でしょうか。

以下、本の内容とは関係のない話になるが、今現在最も嵌っているフィンランド語では学習書レベルで解説される文法・用語に限っても一つの表現に複数の選択肢ががあり、この表現は以前にも出てこなかったっけ、と読み進むにつれて少しごちゃごちゃになって来る。それぞれニュアンスか使える条件が異なるのだろう。その辺りは色々と実際に触れて経験を積まないと分からない。『フィンランド語文法ハンドブック』を一通り読み終わって記憶があやふやな箇所(沢山ある)を読み返しつつ、他に何か教科書的な読み物は無いかなと探して少し気を惹かれたのが約100年前にフィンランド語で書かれたフィンランド語の古典的教本 “Suomen Kielen Kielioppi: Alkeisopetuksen Tarpeeksi”。 結構高い本ではあるが思い切って購入してみると、何せ元が古い出版の字面をそのまま印刷したものなので文字が読み辛く、さらに困ったことに少し凝ったフォント(飾り文字?)が使用されておりアルファベットの判別が付かないものが多々ある。慣れの問題ではあろうが、綴りを勘で探り当てて辞書を引くとなると僕には手間がかかりすぎるので死蔵することになりそうである。近年購入して最も後悔した本となった。

こちらは初版が1952年のフィンランド語教科書。もう古本でしか手に入らない本で、何せ古いものなのでネット古本市場に出ている10に満たない冊数のうち、約半数は品質が「可」であった。これは「一応読めはするが・・・」という状態のピンからキリを含むカテゴリーで、値段も安くはなく注文するのは中々に怖い。と言って僅か2、3点ある「良い」や「非常に良い」は更にその数倍の値が付いており、試しに「可」の中から一冊買ってみた。さて届いた物を恐る恐る調べてみると、経年劣化は当然として表紙が多少擦り切れている程度で書き込みも見当たらず、この手の本としては「よろし」品質である。近年購入した本のうちで最も幸福を感じた一冊であった。まだ数章を読んだに過ぎないが中身の方もまた素晴らしく、後日改めて紹介したいと思う。その本は第9版、昭和46年発行で半世紀を経ており、僕より幾分か年長である。僕の身体の状態もまだ「よろし」と言えれば良いのだが。

上の本、何か言いたいことが有って此処に張り付けたのだけれど、上を書いているうちに言いたかったことが迷子になってしまった。後日思い出したら別項で取り上げるかもしれない。

今聴いているAudibleがコレ。ビル・ゲイツ絶賛『コード・ブレーカー』が平積みされているのを見つけてAudible版を試聴してみると、朗読者は女性だけど落ち着いた声質で思いのほか聴きやすかったので、読まずに聴くことにした。まだ前半約三分の一辺りではあるが、非常に面白い内容である。特に生命史において太古から現在まで続く、最も古く激しい戦争の最前線であるバクテリアとウイルスの免疫を巡る戦いの痕跡を遺伝配列に発見したくだりは思わず興奮して聞き直してしまった。ここで見つかった遺伝子編集因子(tRNAだっけ?)を基に遺伝子編集技術を開発したのが本書の中心人物であるジェニファー・ダウドナである(間違えていたらすみません)。話は変わるが、科学活動の中で成果主義と誰が最初に論文発表するかという争いが僕は嫌で堪らない。他の人に抜きん出たいという、生存競争に勝ち抜いた生命一般が原則として持っている本性のこの側面がなければ今の繁栄はないかも知れないが、この本性は癌でもあると思う。

最後に、久しぶりに映画を観た。『ザリガニの鳴くところ』。いやー良い話だった。本も読んでみたいが、ここはAudibleで聴くことにしよう。