カレワラの歌 第1巻

7月末に喉が痛くなり、発熱後に一週間ほど微熱が続いて咳も出た。職場でも身内で同様の症状が出た人が居て、そちらはどうもコロナだったそうな。症状を聞くに、僕も恐らくそうだったのだろうと思う。回復して暫く経った8月末、また微熱と咳が出はじめた。複数の締切と出張準備で休んでいる暇がなく、そのまま出張先の京都へ行く。ホテルでテレビのニュースを付けていると、偶然コロナが話題に上がっていて、7月末の僕のコロナ疑いの時期は丁度流行のピークに当たったらしい。そして別の変異株がまた流行り出しているそうな。新しい方は感染力が強く重篤化は稀で、僕の症状もそれなのかもしれない。そういう口実で、僕が喋らないといけない時以外は会場を留守にして、提出物の手直しをしつつホテルと街中で4日間の出張をブラブラと過ごした。京都はあまり好きではないのだけれど。

四条に在った大きな書店は数年前に閉店したそうで、京都に行く楽しみがひとつ減ってしまった。仕方なしに丸善に出入するが、蔵書数は地元の最大書店と大して変わらないかやや少ないくらい。掘り出し物?だったのは表題の『対訳 カレワラの歌 第1巻』。カレワラは翻訳で読んでも面白くないので、これは嬉しい。

フィンランドの国民国家形成の思想背景の中心となったカレワラは、カレリア地方を中心とする民間伝承を19世紀初頭にリョンロットが収集し、それらを適度に取捨選択し創作を施してそれなりに纏まった物語として編纂された叙事詩である。各行は八音節で特定のリズムを持つように構成され、基本的に或る行で語られた内容はそれに続く行で、言葉を変えて繰り返される。各行内の用語に加えて、これらの内容が重複する2行間ではそれぞれの単語が韻を踏むように言葉が配置される。この特徴から、カレワラはフィンランド語で読むと興味が倍増する。楽しさの程度でいうと1/5が2/5になる程に。無理して一気読みしようとしなければ、僕個人は4/5くらい。古い用語はあるけれど訳も付いているし、基本的に単純な表現しか出てこないので僕には丁度良いようである。

ボルヘスに倣って旅先に持って行ったのが『神曲 地獄篇』。これもイタリア語で読んだ方が良いのだろうけど、そこまでボルヘスの真似はできない。今回は日本語で。一気読みしようとすると直ぐ飽きるので、まだ読みかけである。少し癖になりつつあり、料理で例えるならお吸い物かな。最初は河出文庫版で読み始めたのだけれど、脚注がページを捲らなくても読める講談社版に直ぐに買い替えた。

お盆あたりから読み出したのがプルーストの光文社版。以前に読んだ際は、「花咲く乙女たちのかげに」まではこちら版で読んでいたけど、以降は続刊が予定通りに出版される岩波版に乗り換えた。こちら版の翻訳は完成するのだろうか。読みやすさは多分同じくらい。フランスコミック版も読んでみたいのだけれど、漫画にしては値段が高く、それなら文章で読めば良いかと思ってしまう。