重力の虹

上巻表紙前面

続き
3月に入ってから、以前より気になっていた『重力の虹』を読んでいた。聞いていた通りの、それ以上の下品さだ。ピュリッツァー賞の審査員が揃って拒絶した理由が良く分かった。下ネタ描写で溢れている一方、言語表現はポップで平明で分かりやすい。ただ、脈絡のない要素が文章として纏まると理解しづらくなる。多分だけど、説明が圧倒的に足りないのだ(状況においても、著者が頭の中で何を考えてそれを書いたのかについても)。でも奔流する情報の、無秩序と言いたくなるような乱雑さは癖になる。

上巻表紙背面

内容に関しては、ウィキ等もあることだし、そもそも僕自身があまり把握できていないので書かない。全体像が把握できないのに読む価値はあるのかと問われると、これが大いに有った。『失われた時を求めて』と同様、これは小説を読むという行為そのものに浸る本である。多様な雑多なイメージが立ち上がっては次々に押し流されていく、その色鮮やかな印象の移り変わりが本書を読む経験を他書から際立たせていると思う。しばらく前に読んだ『いきている山』で、その著者が山から得ただろう経験と同質の経験を本書から得られたのではないかと想像する。これはあくまで想像。

下巻表紙

さて、少し前に本書のAudible版を入手して聴いてみたのだが、一時間もたたないうちに迷子になった。全四十時間弱。これは指輪物語の『旅の仲間』と『二つの塔』を足したより少し超える位なので、本自体の威圧的なボリュームの割には、それほど長くはないのかもしれない。

当初は連休前くらいまでを予定して読み始めたのだが、訳あって少し読み急ぎ、それでも3週間強、中々濃くて少々疲れた初ピンチョンとなった。その内に再読したい。彼の作品はもう二つ、できれば今年中に読みたいものが有るのだけれど、時間の方がどうかなあ。それはさておき、本書のカバー絵は多分ジオラマかな?素晴らしいデザインだと思わないだろうか。読みたい2冊も、表紙絵が素敵である。

最後に『知能侵蝕 1』。どこかのサイトで紹介されていたので読んでみたのだが、『重力の虹』に調教されたお陰でかどうか、全く物足りない。見通しが良すぎて分かり易すぎるのだ。『重力の虹』の印象風景が下町の裏路地としたら、本書は平地をまっすぐに伸びる高速道路。飛び出してくるとしたら鹿くらいだろう。そこには、『重力の虹』が見せるようなイメージの洪水も無ければ考えを巡らす余白も無い。でも、続きはちょっと気になる。

5月一杯まではゆっくり本を読む時間が取れないかもしれない。講談社選書の4月の3冊(『地中海世界の歴史』の2冊に加えてもう1冊)もあるし、次にピンチョンを読めるのは何時になるだろう。