8(エイト)下巻

通勤手段に電車を使っていたころは、他の乗客が本を手にしていたら何を読んでいるのか気になって、しばしば横目で見たり、文章を覗き込める(あからさまに覗き込んだりはしないけど)状況なら文章の断片からタイトルを推測したりしていた。実に怪しい。そもそも殆どの人が表紙をカバーで覆っているのが良くないのだ。裸の本を手に、気兼ねなく堂々とタイトルを見せ合うような習慣が広まって欲しい。という僕も一時期は、本当に気に入った本には綺麗な和紙製のブックカバーを付けて喜んでいたのだけれど、付けるのはたいてい読んだ後だし、暫くして面倒になり止めてしまった。

ということを思い出したのもつい先日、書店で本を5冊をまとめて買ったときに、僕が抱えている本をジッと見ている人がいたからである。確かにあまり気持ちの良いものではないが、さり気なく持ち方を変えてタイトルが見えるようにしてあげた。その時抱えていたのは『音楽は絶望に寄り添う: ショスタコーヴィチはなぜ人の心を救うのか』、『哺乳類前史』、『ベルベル人』、『コルシカ語』、『ハクメイとミコチ11巻(漫画)』。どれに気を引かれたのだろう。出たばかりの漫画かな?全部読めるか分からないけれど、とりあえず漫画だけは読んだ。ベルベルとコルシカは白水社の新書で、表題書と一寸だけ関係がある。

さて表題書。上巻を読み終わって他の本に少し浮気していた。『運動しても痩せないのはなぜか』もその内の一冊。まだ前半しか読んでいないのでここでは詳しく取り上げないけど、ちょっと面白かったのが移動方法各種の速度と距離当たりのエネルギー消費量のグラフ。自転車がある速度以上で効率が下がるのは空気抵抗が無視できなくなるからで経験通り。歩きは中速(具体的な速度は忘れた)で最も効率が良く、これより遅いとエネルギー消費が上がる。ゆっくり歩く人を良く見かけるが、よくそんなしんどい歩き方できるなあと常々感じていたのは間違いではなかった。ある速度以上は歩行よりも走る方が効率が良くなる。これは足をつっかえ棒(歩行時)ではなくてスプリングの様に使うことで重心の上下運動が軽減するからである。当たり前だけど、エネルギー消費という点では、動作が同じなら速度をどれほど上げても距離当たりの仕事量は変わらない。10kmをゆっくり走っても全力ダッシュしても、あり得ないけどフォームが同じなら、消費カロリーは変わらないのである。もちろん疲労度は違う。正気であれば10kmをダッシュしようと思わない。

と寄り道をしつつ読んだ下巻。本書を通して舞台はアルジェリアのアトラス山脈(アフリカ北部海岸をリビアからモロッコ迄走る山脈)とタッシリ(アルジェリア南西部にある砂漠の名所)に移り、風景描写があっても全く想像がつかないのでグーグルマップや観光写真を調べつつ、なかなか楽しい読書となった。そういうものが気になるということは、物語の方に集中できていなかったということでもあり、こちら方面は「こんなもんだったかな?」とちょっと残念になる。以前読んだ記憶として僕がわずかに覚えていた、砂漠を過ぎた岩山(タッシリ)の中、白い巨人の壁画に囲まれて主人公の一人である修道女が出産するという場面は、僕は最後の最後の部分だとばかり思っていたのだけれど、上巻で早々とその場面が出て来てちょっと驚く。それ以降の展開は文字通り全く覚えていなかった。今となっては特にお勧めしたい本ではなく、僕の心の「面白い本」棚からは削除する。

Audibleで今聴いているのがこれ。科学者である著者は考えれば考えるほど、神を想定しなくては進化を説明できないという結論に至ったそうなのだが、はたして。