黒い海

面白い。このまま忘れ去られてもおかしくない事故の真相を丁寧に掘り返した力作で、興味深く読んだ。2008年の或る日の太平洋上、少し荒れた波をやり過ごす為にパラ泊(パラシュート状のアンカーを用いての碇泊で、最も安全とされる)していた複数の漁船の中で第58寿和丸が突如として転覆し、17人の漁師と共に深海に沈んだ。僅か三人の生存者の証言では船全体が休憩モードにあった中で突然2度の衝撃を受け、2度目の衝撃では船が引き裂かれるような音が響いた。生還した乗組員は船室から急いで甲板に出て海に逃れることができたが、衝撃から船が転覆するまでに要した時間は僅かに1、2分であった。脱出時、甲板及び船内の目が届く範囲には浸水は確認できず、一方で喫水線は上がっていた(つまり船が沈み込んでいる状態)と言う。海には黒々と燃料の厚い層が半径数十メートルの広範囲に広がっており、これは通常の転覆事故で空気孔(気化した燃料を逃す為の穴)から漏れ出る量(数十リットル)を三桁ほど上回ると推測される。これは船の燃料タンクに収まる量に相当する。

この海難事故に関する調査報告書は通常の期限である一年を大きく超えて、東北沖地震の発生から間もない2011年4月に提出される。それ以上に問題なのがその内容であり、排水溝の整備不行き届きによって被った波による浸水をうまく排出できず、積載物の杜撰な重心配置も重なって転覆したというのが事故の顛末とされた。そして波による転覆シナリオを補強するために、専門家による「どのような条件であれは波による転覆が不可能ではないか」といった類の(事故とは直接関係の無い?)考察が付属する。事故の真相はもちろんのこと、不可解なのはどうして素人目(著者のこと)にも無理があると分かるその様な調査報告書が提出されたのか、どうして事故の生存者の証言が全く反映されなかったのかである。本書はこのミステリーに切り込んでいく。

このようなミステリーを読む際に僕が気をつけていることは、著者の視点にできるだけ流されずに、自分なりの仮説を立てながら読み進めることであるが(その方が楽しめるから)、著者自身がある仮説を持って文章を構成している以上、必然的にそちら側に視点が偏ることは避けることができず、冒頭から或る要因がどうしても頭から離れなかった。その点も含めて、著者がこの事故を巡るミステリーをどう判断したのかについては実際に読んで頂きたい。グイグイ読ませる内容なので損はしないと思う。調査報告書の目的は同類の事故の再発防止なので、この様な事故に直面した担当者たちは頭を抱えたのでは無いだろうか。その結果として出された的外れな調査報告書(とは本書から受けた印象)も、予防の面では(同様の事故とはいかないけれども波による転覆事故を防ぐという面で)全くの的外れとは言えないのかも知れない。無理の有る調査書を作成することに何らかの意図を勘ぐることもできるけれど、恐らく考え過ぎだろう。最後に、僕はこの事故のことを全く、カケラほども覚えていなかった。ちゃんとこういう事件・事故を掘り起こす人がいるのは素晴らしいことだと思う。

今Audibleで聴いているのは “The World In A Grain”、 都市文明における砂の役割について語った本である。どちらかと言えばネガティブな印象のある砂が現代都市の礎であると話が始まってちょっと驚いた。現在毎年消費されるコンクリート(原料は砂)の総量は赤道の周囲に幅88フィート高さ88フィートの壁を造る量に相当するらしい。これを書く時点では未だ全体の約三分の一の辺りで、ガラスとその工業化がどう生活を変えたかに関しての箇所。この後どう話が進むのかは分からないが、今の所は面白い。日本語タイトルは『砂と人類』。