クジラアタマの王様

映画「ブレットトレイン」を観て久しぶりに伊坂幸太郎の気分になっていたところ、本書が平積みされているのが目に留まった。期待通りの軽妙さ、時折マンガが挟まってライトノベル的である。内容の方も異世界リンクもので実にライトノベル的。よくこんなオシャレ展開を思いつくものだと彼のアイデアにはいつも感心する。コロナ騒ぎが始まる直前にインフルエンザのパンデミック騒動が描かれているのが面白い。それにしても、極度に致死性の高い感染症が現代で広まらないのは、本書でも描かれるように選ばれた人(某所を訪れるのがキッカケとされる)が夢の中で戦いに勝利しているからだろうか。或いはそういう危ないウイルス・細菌は進化の過程で取り除かれた、または弱毒化した、はたまた免疫が獲得されたからだろうか。もしかしたら単に確率的な問題なのかもしれない(つまり、寄生主・人体に極度に危ない方向へ突然変異する確率はあまり大きくない)。

物語の最後で、実はあの人も、さらには自伝のあの人も、某所に詣ったことがあると判明し、彼女や彼もまたそれぞれの、主人公たちとは別の戦いに勝利していたことが暗示される。それをわざわざ明記しないところがまた著者らしいと思う。ところで映画の方は、面白さは原作(マリアビートルだっけ?)の楽しさの半分程度なのでお勧めしない。

“Gastrophysics”をようやく聴き終わった。朗読者の読み方やペースがとても聴きやすくて、内容自体にはあまり目を見張るものがないのにかなり楽しめた。簡略にまとめると、美味しさの感覚というものは、味覚・嗅覚ほか他の知覚も含めた複合的な刺激を、三つのフィルターを通して脳内で解釈したものである。三つのフィルターとは、一つは種に普遍的な感覚(例えば塩辛いものを塩辛いと感じる感覚)、もう一つは文化的なもの(日本は西欧と比べてどうこうという地域的・時代的なトレンド)、最後は経験から来る個人的な感覚(ある情景にある感情が浮かび上がる類のやつ)。そんなことは何となくだけどもう知ってるよ、的な内容だけれど、こういろんな例を出して説明されると説得力と迫力がある。ちょっとお勧め。

日本語版も『おいしさの錯覚』というタイトルで出ている。「錯覚」という言葉は本書の趣旨からは少し外れていて(或いは意図的にミスリードして、趣旨を「錯覚」するというダブルミーニング的な機転を効かせている?)、美味しいと感じる感情は5つあるとされる味覚の組み合わせのみから生まれる感覚ではなくて、背景で聞こえる音や手に持った食器の重み、サクサク感、子供の頃にアレを食べた時に感じた幸福感の思い出、なども含めて本来が複合的なのである。