習得への情熱

6月にスポーツジムが再開してから、僕がする運動の内容が少し変わった。以前から筋トレはあまりしていなかったが現在は筋トレ器材をほとんど使わなくなり、自重での運動、主にサーキットトレーニングをしている。マスクの息苦しさが負荷になって良い。これにはYouTubeのチャンネル「為末大学」を参考にしている。為末大氏は僕と同年代の短距離走者で400mハードルの日本記録保持者である。彼の動画ではスプリンターのトレーニングや身体運用上で意識するべきことなどがポイントごとに解説されていて、スプリンターでなくても為になる。そして数年前から嵌っていたボクシング。僕が通っているのはそれ専門のジムではないし、目が悪くて打ち合うようなことはできず、シャドウボクシングとサンドバッグ (分かり易さのために敢えてそう書くが、自立性の器具) に打ち込むだけではあるが。前者はいわゆるフィットボクシングである。元プロボクサーのトレーナーの動きに合わせてコンビネーションや回避動作を行う。

僕は手本となる人の動きを真似てそれなりに動くのが割と得意だと思っているのだが、フィットボクシングでパンチを打っているとそれが「それなり」に過ぎないと嫌でも分かってくる。簡単そうに見えるフックやアッパーも体を連動して違和感なく打てるようになるには時間がかかった。そして「コツ」を掴んだつもりで暫く経つと、またどこかに違和感や力の澱みを感じて微調整をする、ということを繰り返す。僕の動きは「それなり」の域を出ないし、日々の体の調子が全く同じではないからだろう。右利きスタイルでスムースに打てるパンチもサウスポーに変えるとまた感覚が違い、身体 (少なくとも僕の) が左右対称でないことも知る。左右で同じ感覚にならないのは左腕が不器用という理由のほかに利き目・利き足の影響が大きいと思っている。因みに、コンビネーションを左右のスタイルでスイッチしながら打つのは頭の体操に良いと思う。今はもう慣れてしまったが、フィットボクシングを始めたばかりの頃は左右が変わると頭が混乱し、後頭部がカーっと熱くなった。脳が疲れるのが分かる。前頭葉で考えると動きが止まるので、体が自然に動き出す流れに任せるとスムースに動ける。余談が過ぎた。

人は物事の習得に於いて早熟系と晩成系に分類できる。熟しない系もあるがここでは問題にしない。 動画でご自身が語っているように、為末氏は代表的な早熟系である。400mと400mハードルの自己ベストは学生の時に記録しており、100m・200mも長いこと中・高の記録を更新できなかったそうだ。こと単純な身体能力に関しては成長期のほうが成長しきった20代の身体より高いことは有り得ない。こうなる理由はある種のマインドセットが関係する。早熟の人は器用で学習能力が高い。コツをつかむのが巧い、とも言う。彼らは幼少期から (その分野で) 他より少しだけ秀で、褒められる。自分自身がよくできる事を自覚しているので、成長につれてこのアドバンテージを失うことを恐れるようになる。成長期には体が大きく変化し、身体運用法を学習し直したり調整する必要があるのだが、この期間は以前の様なパフォーマンスは出せなくなる。そのため、彼らは成功体験が得られた且つての方法、最早体とは合わなくなった方法に固執し、負け始めるようになる。年齢が増すにつれて遺伝的要素・素質が大きく出てくるので、器用さでは補えない部分も出てくる。こうなると勝負を回避するようになる。僕も多分早熟系でその傾向がある様に思う。

これとは別に、早熟の子の場合、周囲が過度に期待を掛け、色々と教えようとすることがっその後の成長の障害になることがある。器用なので教えられたことは何となくできてしまうのだが、自身で深く思考・試行することなく習得した技術は成長による身体の変化などで容易に失われてしまう。さて微調整、再習得となった際には努力の末に身に着けた技術ではないからどうしたらいいか分からなくなったりする。これに関して、僕自身も少し経験がある。中学校に入って間もなくバレーボールの授業が有った。小学校の頃からバレーボールをしていた現役バレーボール部員がジャンピングサーブを披露していたので僕も見たままに真似てみたら此れが偶然上手く行き、ドライブのかかった強いサーブが打てた。その年のバレーボール授業中はそれでブイブイ言わせ、素人とは信じてもらえなかった。次の年、少し体の大きくなった僕は同様にサーブを前年と同じ感覚で打ってみたが、ドライブがかかることは二度と無かった。

早熟であることは決して短所ではない。適切な教育や指導を受け、適切な心の持ちようを学ぶことができれば大きなアドバンテージとなる。表題書の著者は読む限り早熟系だが、恵まれた環境と両親のお蔭で、負けることを恐れず挑戦する精神を身に付けた。そして二十歳まではチェスに、以降は太極拳に精進して両方の世界で頂点まで上り詰めた。その彼が競技者として優れたパフォーマンスを出すために辿り着き、実践する学習法を紹介したのが本書である。分野を問わず、物事 (競技) に上達する方法は共通する。「インスピレーションを得るための自分なりの方法を発見するために辿るべきプロセス」を意識的に辿ることでより高い学習効果が得られる。その「プロセス」とは何なのか、興味がある人は自分で確かめてもらいたい。僕はこの本を一月ほど前に読んだので、此処に書けるほど具体的に思い出すには幾らか読み返す必要がある。

沢山ある参考にしたい知恵の中から一点だけ紹介する。これは色んなところで見聞きしていることであり、僕自身が経験していることでもある。複雑そうに見える全体を要素に分解し、各要素を無意識的に活用できるようになるまで習得することの重要さである。「要素」は「基礎」と言い換えてもいい。著者は幼少時代にチェスを訓練するとき、終盤の盤面、例えば自駒はキング一個に対して相手駒にキングとナイト (僕はチェスを知らないので駒の選択は出鱈目である。念のため)に制限し、それぞれの駒の動きや役割、駒同士のコンビネーションの効果などといったゲームを構成する要素要素を徹底的に練習した。将棋なら詰将棋がこれに相当するのかもしれない。こうすることで、実際のゲーム中のより複雑な盤面においても多くの情報を無意識的に処理することができるようになり、勝負の肝となる要点に意識を集中することが可能になる。単位時間当たりに注げる意識の量は、人によって差があるかもしれないが限度がある。多くの情報を同時に意識的に処理しようとすると、どうしても一つ一つの要素に対する注意は散漫になる。この点に関して、以下でもう少し説明する。因みに、対象の次元を変えれば、この意識を集中することは「マインドフルネス」と呼ばれるようだ。

事故の起こる瞬間、例えば自分に車が突っ込んでくるとき、時間がゆっくりと流れるように感じる。これは自身の頭の働きが加速したわけではなく、意識を車の動き一点に絞ったからである。より印象的な事例は武術の達人が対戦するときだろう。漫画『バガボンド』によると、達人は対戦相手の動作や周辺環境からの情報を全て見よう (処理しよう) とは決してしない。何にも意識を留めず、無意識的に全体を眺める。だから涎にも気づかない。そこに意識を留めるべきではないと無意識的に分かっているからである。そして意識を集中すべき出来事が起これば、それに一点集中する。だからその瞬間の時間はゆっくりと流れるように感じる。『バガボンド』第22巻の一話目、武蔵と清十郎が大晦日に蓮台寺野で決闘する話は『バガボンド』のみならず漫画屈指の名場面だと思う。

それでは無意識的に処理する全体情報の中から、何処に意識を注ぐべきかはどうやって知ることができるのか。それは自身の動作、相手の動作の各要素を無意識的に処理できるようになるまで訓練した「経験」が教えてくれる。漫画『アオアシ』にこの例が出てくる。主人公青井葦人がAチームのレギュラーメンバーと初めてパス練習をした時、パスを出すべき相手を探し出す彼らの素早さに葦人は「何も考えていないんじゃないか」と驚く。彼らは何も考えていないのではなく、多くのことを無意識下で処理できるまで練習し経験しているからこそ意識を絞り、素早く思考できるのである。オイゲン・ヘリゲルの『日本の弓術』にも同主旨のことが書いてある。囲碁・将棋や先に挙げた武術の試合、その他様々な場面での「ひらめき」や「光明」といったものは過去に遭遇してきた無数の経験の中から現在相対するものと同様のパターンを無意識下に探し出すことで得られる。パターンとは全体を構成する要素の組み合わせのことである。各要素内に意識が滞る内は「天啓」は降りてこない。

本書は優れた (多分) 教育指針書なので、子供を何かの分野で平均よりほんの少しでも秀でるように育てたい人は、内容に賛同する・しないは別にして一読の価値があると思う。同時に著者の自伝でもある。彼が紹介する「プロセス」を通じて、チェスと太極拳のそれぞれの世界で伸し上がっていく、その過程が実に面白い。僕が中国拳法の奥深さを知った傑作少年漫画、『拳児』の中で、主人公拳児は化勁 (攻撃を受け流す技法) を取得するために太極拳を習う。この時、それまでの八極拳の修練で身に付けた「剛の力」によって拳児はまるで陶器の人形のように小さく凝り固まっていると老師に教えられる。より大きく成長するためには、一旦固まった技術を例えその過程で無力感を感じたとしても取り壊さなければならないと言う。連載当時は実感として良く分からなかったこのエピソードが理解できた気がする。因みに、『拳児2』が最近出版されていた。

大変長くなってしまった。最後は余談になるが、動画サイトで見る中国拳法の動きには感心せざるを得ない。太極拳は何時か習いたいと思っている。休みの時に平日日中にスポーツジムで開催される太極拳クラスに一度だけ出たことがある。この時は各動作の意味も全体の流れも全く分からず、ただ付いていくだけに終わり、インストラクターの動きの滑らかさだけが記憶に残った。

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