ちくま新書の本二冊:日本語の起源ほか
今月のちくま新書は古代の日本に関するものばかりで、ちょっと興味があるので2冊ほど読んでみた。というか眺めてみた。此処に挙げる2冊は内容が超限定的で細かく、余程興味が無い限り集中して読み通すのが馬鹿らしいような本なので、お勧めはしない。
表題書のテーマは、日本語(やまと言葉)の起源は古代中国語であるというもの。文法には一切触れず、音声要素のみの考察である。最初の数ページで論旨を述べた後は、100タイプほどの実例がひたすら羅列される、そういう類の本なので、そもそも一気読みには向かないと思う。僕もつまみ食い程度に眺めただけ。日本語の起源に関しては諸説あるが、中国語があまり話題にならなかったのは、漢字のために音声要素が分からなかったからだそうな。例として取り上げられるやまと言葉は確かに中国語(呉音)に遡れそうに見えるものの、語彙の全体が大陸に由来するかは不明である。大陸とは太古の昔から幾らかの交流があった筈で、後にヤマトコトバとして定着する幾つかの単語がモノや概念と共に入って来たとしても不思議ではない。クサガメのようなものだろうか。奴らはミシシッピアカミミガメやブルーギルの陰に隠れて在来種の様な顔をしているが、ずっと昔(いつ頃かは知らない、仏教伝来の頃?)に中国から入ってきた外来種である。
こちらの方は、卑弥呼が女王であったのは北九州のヤマト国であり、畿内の邪馬台国と併存したという主張。中国古書の信頼性など様々な論点から考察されるが、はっきり言って細かくて読み通す気にならない。パラパラと眺めて摘み食いをしただけである。古代に興味があるとは書いたものの、そもそも僕は邪馬台国が何処に在ったかなど、ちっとも興味が無いのだ。中国の歴史書2,3にチラっと記述されるだけの「名称」という認識である。本書を手に取ったのは魔が差したからと言う他ない。ただし、色んな説が有るのは喜ばしいと思う。これは日本語の起源も同様である。この手の、次に繋がる先の乏しい謎は、ずっと解明されないまま残ることを切に願っている。分からないからこそ、本当は取るに足らない事柄であっても、何か特別なものなのだろうと人は錯覚してくれるのである。