毒草師 白蛇の洗礼

先週末に観た映画『悪なき殺人』がなかなか良かった。フランスの田舎で起こった殺人事件の経緯を、事件に関係する人達の視点をリレー形式で繋ぎながら、観客に解き明かしていくという少し凝ったミステリーである。視点はより深く事件に関わる人へと順に受け継がれてゆく。時系列もそれに従って前後するので、最初はアレッとなる。フランス語に触れたのは本当に久しぶりだったが、字幕と照らし合わせてナルホドナルホドと少し(ほんの少し)は理解できたのも楽しく観れた一因であった。

同じ出来事を複数視点から描く映画は秋ごろにも一本観ていて、こちらはアメリカ(たぶん)の映画。中世フランスの騎士二人の決闘に至る経緯が、当事者の騎士達とその妻の立場から計3回繰り返される。それぞれの立場からの認識差あるいは記憶違い?を反映してか、細部が少しづつ異なる間違い探しの様な映画で、僕は二人目の時点で既に飽きてしまい、三人目は苦痛だった。気が滅入るような暗い話でもあり、これを終わりまで楽しく観れるのはどんな人だろうか。

さて表題の小説、いつ購入したか全く記憶にないのだが、Kindleに入っているのを見つけて読んでみた。少しミステリー気分であった。著者は軽めの歴史ミステリーをたくさん書いており、もう随分前に読んだ『QED 百人一首の呪』が面白かったと覚えていたので、セール時に何冊かまとめ買いしたような気がする。内容の方は、茶室での毒殺事件と千利休キリシタン説を関連付けたもの。そんな説があることを知らなかったのだが、実につまらない説であった。説の詳細はどこかで調べてください。

利休と同時代の茶人、丿貫は一見「本来無一物」を体現しているように周囲には見えながら、「執着しないこと」に心が囚われているという。一方で茶道において道具を重んじた利休は物欲に囚われているように見えるものの、例えば道具への拘りも己の美的欲求に素直に従った結果に過ぎず、自信は世間的価値観から自由だったという意味で、「本来無一物」により近い心境であった。己がキリスト教徒であるかどうかなど気にも留めなかっただろう、とは本作中で死ぬ人物の発言内容である。こういう見解もあるのかと、利休(と、一見何かに囚われているように見える人)に対する見方が少し改まった。ただし、本書は色んな意味でつまらないので、何か面白いものを読みたい、という人には全くお勧めしません。Non, absolument.