グランドジョラス北壁
以下は記憶力が弱いと良いこともある、という話。
行きつけの書店の一隅に中公文庫の僅少本コーナーが設置されていて、そこで見つけた本書。棚差しされていたらまず見落としたであろう類の本である。登山家自らが書く自伝やエッセイで飛び切り面白いと思えるものはなかなか無く、山渓の文庫からも同類のエッセイが多数出ているのは知ってはいたが、あまり手を出さずにいた。そこそこ楽しめるものは沢山あって、それは多分僕の興味がコッチ方面に傾いているからである。興味の有無に関わらず、文章や書き方や構成の上手さで読ませる本は僕が今まで読んだ中では一冊しかなく、本書も他の多数と同様に、興味のない人には退屈かもしれないと先ず断っておく。
本書はアルプス登山の歴史から入る。エドワード・ウィンパーらによるマッターホルンの登頂以降、登山界の興味はより困難な壁の登攀へと向かった。そして一つの壁が征服されると、より困難な行程を登るバリエーション・ルートへと競争の場が移る。グランドジョラス(の北壁)はこの辺りから登山界の注目を集めるようになった。夏季登頂が一通り成されれば、自然と次はより困難な冬季の登攀となる。そうして最後まで残されたのがアルプスの三大北壁、即ちアイガー北壁、マッターホルン北壁、グランドジョラス北壁の冬期登攀だった。冬季アイガー北壁、マッターホルン北壁はそれぞれ1961年、62年に征服される。グランドジョラスもその翌年には初登頂が達成され、その僅か1週間遅れで第二登が続き、以降の7年間は未登頂のままであった。そして1970年、著者のグループが第三登目に挑むことになる。因みにウィンパー自身がマッターホルン登頂の顛末を記した『アルプス登攀記(上・下)』は山に興味がある人にはお勧め。山行記の古典である。
グランドジョラス北壁の攻略に当たって、植村直己が同行者となった。彼らは日本隊が1970年にエベレストを登頂する際に一緒になっていて、著者は植村の人格と強さに感銘を受けたという。二人は翌年のエベレスト南西壁への国際隊に日本代表として参加することが決まるのだが、植村には壁登攀の技術が無いので著者が一月間訓練し、それでも国際隊まで未だ時間が有るので、訓練の仕上げとしてグランドジョラスへと向かう。もしかしてと思い、植村直己の本を捲ってみると、『青春を山に賭けて』の最終章にこの山行の顛末が短く書いてあった。久しぶりに読みたくなって同書も購入。もう何度目になるか分からないほど読んでいたのに、記憶から結構抜け落ちているものである。そして、表題書のようにメジャー文庫に入る山行記であれば僕はたぶん昔にも読んでいると思うのだが、ちっとも覚えていないのであった。