フォン・ノイマンの哲学 人間のフリをした悪魔

人間のフリをした劣等感製造機

天才は折ある毎に話題に上りやすいものだが、天才の中の天才であるノイマンに関しては、具体的に何を成した人なのか説明できる人はそれほど多く無いと思われる。僕自身も、ゲーム理論を生物学で齧った他には、コンピューター関連やマンハッタン計画についてボンヤリと逸話を聞き知っていたに過ぎない。ちくま学芸文庫の先月分の配本に『フォン・ノイマンの生涯』があったので読もうかと思っていたところに、より薄くて読みやすそうな表題書が少し前に出ていたのを思い出し、手に取った。同時期に同じ題材の本が出版されることは屡々あり、数年前にも蘇我氏を扱った新書が岩波と中公から同時に出て(同日に書店に並んでいた)魂消たのをよく覚えている。

結論から書くと、何かしら常軌を逸している人の逸話を読むのは楽しいもので、本書もそうした意味でお薦めである。司馬遼太郎は井筒俊彦について「二十人分くらいの天才」と評した。この言葉は多分、「常人二十人くらいが一人になった、一人で普通の人の二十倍くらいの仕事をした」という意味合いだろうと思うが、「二十人の天才を合わせたくらいの天才」という意味にも取れなくもない。後者がそのまま当て嵌まる人がいるとすれば、それがノイマンである。むしろ過小評価かもしれない。彼がどのように常軌を逸していたかをここで取り上げるとキリが無いので、本書またはちくま学芸文庫版を読んで頂きたい。魂消る逸話ばかりであり、僕は同じ人類として彼と一括りにされるのが恥ずかしくなる。知能にゴリラとヒトほどの差があると言われても驚かないだろう。

一つだけ、彼とは直接関係のない話だが、9歳年上である数学者ノーバート・ウィーナーの逸話がとても面白かったので紹介したい。講師としてのウィーナーはマサチューセッツ工科大学の学生達の間で非常に評判が悪かった。彼(彼もまた天才であった)自身に明白なことは学生にとっても自明なことと見なし、説明を何段階も飛ばして講義を進めるので、彼が解説する証明の筋道を辿ることは非常に困難であったという。或る時、彼は教室に入るなり、黒板に大きく「4」とだけ書いて出て行った。それが何を意味するのか、学生たちは頭を悩ませ、様々な案を出し合ったが見当がつかない。意を決して学生の代表が研究室に聞きに行くと、学会の為にその日から4回分の講義を休講にする、という意味だった。この話を読んで僕は真っ先に『銀河ヒッチハイクガイド』を思い出した。何のことか分からない人は、googleで「42」とだけ検索して頂きたい。

さて、本書サブタイトルの「人間のフリをした悪魔」の意味であるが、「悪魔の様に頭が良い」という意味ではない(それも意図されているかもしれないが)。彼とかかわった人は劣等感を感じざるを得ないという意味でも決してない。彼は長くアメリカの国防と関わり、癌で死ぬ直前は国家機密をうわ言で漏らさないように、病室にSPが待機したという。詳細は省くが、その辺りが少し掠ってくる。

最後に余談。彼の著作の翻訳(の一部?)はちくま学芸文庫から『ノイマン・コレクション』として出ている。これを書く今日、書店でそれらをパラパラと眺めてみたが、量子力学の巻は恐らく僕の手に余る内容であった。今後も読まないだろうと思う。しかし、ちくま書店はなかなか凄い本を文庫本で出すものである。その横にはランダウの『力学・場の理論』と『量子力学』も並んでいた。いわゆる「小教程」と呼ばれる物理の教科書で、彼の名著、通称「大教程」に進む前の入門書という立場だそうだ。こちらなら何とかなるかもしれない。ならないかもしれない。なお、この「大教程」にも面白い逸話が有って、場所や日時は具体的に知らないが、アメリカとソ連が睨み合っている時、リチャード・ファインマンがノーベル賞を受賞し、そのことを誇りに思った或る軍人が、『ファインマン物理学』を持ち上げて対陣のソ連兵に見えるように自慢した。次の日、ソ連兵が何やら青い本を振りかざしているので、よくよく見てみると、それがランダウの「大教程」だったという。