ムラブリ 文字も暦も持たない狩猟採集民から言語学者が教わったこと

大変興味深く読んだ表題書だが、手放しで面白かったと言えないのは、著者の性格の駄目な面を僕自身も持っていて、一々反省する点が多かったからであった。ここで言う駄目さとはヒトとしての欠点ではなくて、現代社会人としての心構え、常識的に期待される振る舞いが苦手であるとか苦痛であるという点についてである。例えば毎日決まった時間に通勤することとか、研究のフィールド調査に事前準備なしで参加して情けない思いをすることとか。特に後者の、行き当たりばったりでも何とななるだろう、という怠惰さとそれに伴う失敗は僕も度々経験しており、なんだか僕自身も情けなく感じてしまった。

著者がムラブリ語という、タイとラオスに跨って浮動的に生活する少数民族の言葉に惹かれ、それを研究対象として選んだ経緯についても、後ろ向きな選択の連続と、ふと訪れた偶然の光明に飛びついた結果であると僕には読めた。決して自慢できるような経緯では無いものの、そこからの彼の研究活動と、自身の性格を考慮した上で新しい人生に踏み出した点は立派であると思う。なお、ムラブリとムラブリ語についてはここでは触れなかったが、サラッと読める本なので興味のある人は一読してみると良いかもしれない。

ムラブリの中で長く過ごす内に、ムラブリ語が身体感覚として体に染み付いた(うろ覚え、そんな感じの表現だったと思う)と著者は書いているが、その感覚の多くの部分は言語というよりもムラブリの生活に馴染んだ所為じゃなかろうか。山の中で一週間や二週間過ごしていると、下界での生活感覚が何処かズレて感じられる、これと同様の感覚かも知れないとふと思った。

『ロマニ・コード』はもう随分長く積読している内の一冊。『ムラブリ』の後でまだ軽いエッセイの気分が継続したので手にしてみたのだが、いざ読み始めてみると、著者の研究活動があまりに無茶苦茶(一般的な研究活動と比べて、という意味で)で面白い。彼の活動姿勢は『ムラブリ』の著者と比べると圧倒的に前向きで陽性。そんな人が日本に留まる訳がなく、ルーマニアの大学の西洋古典学科を卒業し、ハンガリーで修士、ルーマニアで博士号を取得して、現在はルーマニアの大学でロマ(いわゆるジプシーは差別用語だそうで、ロマが自称)にロマ語を教えているそうな。ロマとはインド北部が起源と考えられる移動民族のグループであり、東から西への移動に伴って通過した地域の言語文化を吸収しつつ拡散した。ロマ独自の文化が色濃く残る国の一つがルーマニアである。

著者の話では、現代になって非定住生活が禁止されてロマも家を持ったのだが、広い部屋に住むと目眩がすると言って庭にテントを張って移り住み、家には家畜を住まわせたという。また経済的に成功したロマは外装が悪趣味なロマ御殿を建てるのだが、実際に住むのは隣接する謙虚な家であるという。そして御殿にはトイレがなかったりする。面白い話はキリがないのでこの辺で。

『交響曲の名曲・名演奏』は興味のある箇所のみにザッと目を通した程度で置いた。この手の本は追々、その都度読んでいくのが良い。本書では、取り挙げられる演奏とそれらについての著者の意見に視聴者の意識が縛られることの無いようにとの配慮から、演奏情報は指揮者と楽団名のみに留められている。が、僕が聴いてきた幾つかの交響曲については、アレのことだろうな、と思い当たるものもあり、知っている人なら特定出来るように書かれている。初心者ほど幅広く聴いて鑑賞力を養って貰いたいとする意図は分かるのだが、やはり気前よく情報を出して欲しかった。

あと『豊臣秀長 下巻』も読了。派手過ぎず簡潔で、十分楽しめた。