一神教と戦争

先日の読書会にて、タイトル(目次だったかな?)を見れば結論が分かる(分かりそう)、という意見が或る本に対して述べられた。僕の狭い見解によれば、そういう本はビジネス書や程度の低い新書レーベル(程度の高低は勝手な判断だが、何となく分かると思う)に多く、読書に慣れていない人や時間の取れない、または時間を割きたくない人を対象にしており、残念ながらその類の本を近年よく目にするということが、日本人の多くは読書をする習慣が少ないことを表わしていると思われる。以前に平均読書量の国別ランキングで日本は最下層になるという統計調査をニュースで見た覚えがあるが、結論を導く過程、即ち何をどうサンプリングしてどういう統計量を取ったか、がニュースだけからは不明なので、この類の結論に飛びつくには注意が必要である。話のネタとしては面白い。

或る種の本の面白さの本質は、結論に至る思考・議論の流れにある。結論がもし述べられたとして、それが偏っていたり間違えていても、そんなことでその本の価値は損なわれない。だから多くの古典や哲学書(難しいものは僕は読めないのだが)は今読んでも面白いと思うのだ。(余談になるが、読書会ではマイケル・サンデルの最新刊が紹介されていた。それはタイトルが結論を語っているような本であったが、僕は彼の本を一冊だけ読んだことがあり、その考え方に感心していたので、その本も読みたくなった。時間に余裕さえあれば。)

対談書の面白さも同様に、議論の流れにあると僕は感じる。相手の主張に敬意を払いつつ、でも自身が正しいと信じる意見は丁寧に説明して相手の理解を促そうとする。対談する両者の力関係が拮抗していると、そういう心地よい緊張感が生まれる。表題書が正にそういう対談書であった。キリスト教の視点(橋爪氏)とイスラム教の視点(中田氏)の双方から、現代国際社会が抱く問題点(西洋ーイスラム間の摩擦)の原因と解決案を議論する、大雑把に言うとそんな内容である。より具体的な紹介は省くが、それは多岐に及ぶ議論の一部分でもここに書けるほど僕が覚えていないからだ。

同じ神(God)を拝むキリスト教とイスラム教は細部が異なる。その差異から一連の歴史が生まれ、近代以降は西洋文明的価値観、即ちキリスト教的な考え方が世界的に多くの地域でスタンダードとなっている。Amazonの本書のレビューの一つに、中田氏の意見が詭弁的、というものが有った。そう感じる理由は恐らく、僕たち現代日本人の視点(常識)が西洋文明(キリスト教)に軸を置いているからである。中田氏の主張は確かに僕たちの常識から外れている(ものもある)。それらの是非を現代日本の偏った価値基準で判断するとすれば、本書からは何も得られない。僕たちの偏った視点からはイスラム的な思考法は偏っていると見える、その隔たりが何処から生じるのか、について本書は考え方を示唆してくれる。この意味で、本書はとても面白い読み物であった。この方面に疎い僕は一読した程度では本書の内容を消化しきれないので、その内にまた読むかもしれない。