一神教と国家

Audible版『ハリポッター』シリーズを聴き終えた。やはりよくできていると思う。特に第7巻は発売時に一回か、せいぜい二回程度しか聴いていなかったので内容も殆ど覚えておらず、とても楽しめた。ベストセラーになるような本は文章が素直で、容易に頭に入ってくる。僕にはこのレベルの英語が歩きながら聴くには丁度良いのかも知れない。次に聴きたい適当なベストセラーでかつ未読のタイトルが見つからなかったので、取り敢えずダン・シモンズの『ハイペリオン』シリーズを聴くことにする。もう2、30年ほど前の小説ではあるが、これを超える長編SFに僕はまだ出会っていない。後半の二冊、『エンディミオン』と『エンディミオンの覚醒』は日本語翻訳版で一度ずつ読んだきりで内容を殆ど覚えていないので、今から楽しみである。記憶力の弱い人は幸いかな。

最近は再読が個人的なブームである。以前に読んで面白かった記憶はあるが内容をよく覚えていないような本を探しては読んでいる。『一神教と国家』もそんな一冊。対談本なので読み易いのだが、密度も少々薄い。間を繋ぐだけの相槌は不要であった。30ページくらい位は短縮できる。対談本とは言っても、以前に紹介した『一神教と戦争』のように両者が異なる見解を出し合う形式ではなく、対談の主催者(内田氏)がテーマにより精通する側(中田氏)に教えを乞う、或いは意見を引き出す形式の対談である。合わせて再読した『不思議なキリスト教』もこの形式であるが、こちらは講談社現代新書だけあって内容が一段しっかりしていて、より一層面白い。これについては機会があればその際に。

さて表題書。とても大雑把に言えば、僕たちが「当たり前」と思い込んでいるこの世界の現在のありようは、ちゃんとした知識に基づいて眺めてみれば「こうなるのが当然の形態」では決してない。西洋文明(もちろんキリスト教的倫理観と農耕社会の価値観を基盤とする)が主導する形で形成されたシステムの中で僕たちは生活している。大袈裟な例として映画『マトリクス』を思い出してほしい。幸い日本は農耕を基盤にする島国だったこともあり、このシステムの中核要素である国家(領域国家)という虚構(フィクション)を問題少なく受け入れることができた。イスラム世界は元来これと相容れない。にも関わらず近代以降はその形式を受け入れざるを得ず、分断されたイスラム世界の精神的統一を目指して、中田氏は(象徴的)カリフ制の再興を提唱する。

本書の詳細には触れないとして、世間或いは自身の思い込む「当たり前」に、きちんとした知識を持って疑問を呈することができる人のことを、「教養がある」というのだなと一つ教えられた。対談者二人はその代表で、僕も老いる頃にはそうなりたいものだ。二人は老人こそが「カワイイ」という。なぜそう言うのかは本書を見て貰いたいが、僕も納得であった。カワイイ老人を目指したいものである。