ハングルへの旅

表題書(80年代の本である、念のため)は朝鮮語(本書での表記に倣う)のおもしろさを綴ったエッセイである。インターネットが未だ一般に実用化されていない1980年代に、多様な年代・職種の人たちがカルチャースクールで語学を習う楽しさが伝わってくる。著者は子供時代に『朝鮮民謡選』を愛読しており、その時に蒔かれた種が50歳になって芽を出したそう。

明治以降、東洋は切り捨てるのが日本の方針だった。その文化的慣性力は80年代になっても深く作用していて、朝鮮語は東南アジアの言語と同様、語学的には超マイナーな言語だった。著者によれば、東京で朝鮮語を習う人の数は200程度だろうとのこと。そう言われて思い出すのが僕が大学生の時(90年代)、第2外国語を選択する際にそれぞれの言語の先生が大講堂に集って各言語の魅力を順番にアピールしてくれたのだが、朝鮮語は履修者が非常に少ない点が売りの一つになっていた。もちろん今では超人気言語で、僕の姪は朝鮮語希望者が多すぎて抽選から漏れ、中国語になったそうな。

西洋文化偏重の真っ只中で育った僕にとって、本質的に心が動くのはやっぱり西洋の方の言語に偏るようである。本書で言及される或る先生は第2外国語として何でも良いのでアジア(東・東南アジア?)の言語を推奨していた。もしこれに倣うとすれば、ペルシャか中央・南アジア方面かなあ。アラビア語はもともと興味あるけれど、ギリシャ語をやりつつ手を付けるのは僕には無理。

何か面白そうな歴史書が無いかと読んでみたのが『歴史を知る読書』で、興味を惹かれる本が幾つか見つかった。例えば『地中海』(有名な名著で、ボリュームが威圧的)、『回教概論』(ちくま学芸文庫)、『服従』(ウエルベックの小説)など。塩野七生の『ギリシャ人の物語』も挙がっており、再読したくなる。

『小説で読みとく古代史』は古代日本を題材にした歴史小説を紹介した本で、邪馬台国から持統天皇(8世紀頃)までが対象となる。この時代は不明なこと(例えば邪馬台国の所在地とか)が多く、歴史の解釈に小説家独自の持論が強く表れるのが特徴。「上手く騙してくれて(信じ込ませてくれて)ありがとう」と言いたくなるような本が良い歴史小説であろう。既読本が幾つか記憶の地層から掘り起こされる。いずれもそれなりに面白かったものの、やはり戦国時代や幕末の傑作に比べると2段くらい落ちるという印象である。本書の平安時代版も希望。

『しっかり学ぶ初級古典ギリシャ語』が漸く一通り読み終わり、次に読み始めたのが『ギリシャ語四週間』。中身がギュッと詰まった、内容の濃い本である。サラッと書き流していることの中に見逃せない記述があったりする。初学者向けではない点は他の四週間シリーズと同様。他と同様に僕は凄く気に入った。練習問題までやっていると一章(たった数ページ)進むのに一時間ほどかかるので、読むのは専ら週末のみ。

一年ほど前、ラテン語をやっていた時に少しだけ手を出して直ぐに放り出した『ラテン語とギリシャ語を同時に学ぶ』。その時にはギリシャ語が白紙状態だったため、殆ど役に立たないと早々に見限った。今なら、もう大分忘れてしまったラテン語と、一応ギリシャ語の基礎知識が一通り入っているので復習に丁度良い。両方知った人が眺める本であろう。ギリシャ語部分は『四週間』となぜかリンクしているので(最初の部分だけかな?)、並行して読んでいる。