古代ギリシアの民主政
何だか気になったので数日前から『フィンランド語トレーニングブック』をちょっとづつ読み返している。3年ぶりで殆ど綺麗に忘れていたけれど、初めて触れた時にはまさに”foreign”だった語感に今回は親しみが感じ取れ、何かは身の内に残っていることが分かり少しホッとする。kpt変換・逆変換(子音が置き換わったり抜け落ちたりする現象、特にk,p,t周りで起こる)等も音を頼りに割と自然に分かるようになっていた。日本語でも、僕たちはもう使い慣れているので意識しないと気付かないけれど、同様の現象が起こっている筈である。日本語の「ん」の発音に数パターンが有るのは有名な例で、発音と文字列がほぼ一対一に対応するフィンランド語ではそれが綴りの変化として表れるだけなのである。初学者にとっては面倒な規則も、会話ができるほど学習が進んだ人には発音を間違えないので有難いと言えるのかもしれない。
フィンランド語を中断した後に色んな言語を間に挟んできたけれど、特にラテン語の癖が抜けず、単語を口に出して読むときについラテン語方式(日本語と同じく高低アクセント(音を高く読む方式)で、語末から数えて3か2音節目に付き、どっちになるかはルールがある)になるのが少し困る。これはイタリア語(フィンランド語を始めたので中断中)をやっていた時も同様で、こちらは2か月近く教科書を読んだけれど音声を聴いておらず、どこにアクセントが付くのか良く分からないままで、僕は勝手にラテン語方式で通していた。因みにフィンランド語では必ず(?)第一音節目にストレス(強弱)アクセントが置かれる。
さて表題書。民主政という政治体制は2500年前にギリシャで誕生して幾つかの(多くの?)都市国家で採用され、前一世紀にローマ帝国の強大な暴力によってギリシャが吸収されたときに一旦消失した。この政治形態が形を変えて復活するのは約2000年の後になる。誕生の地が何処だったか覚えてないけれど(書いてあったかも忘れたけれど)、その形成過程と栄華の中心は間違いなくアテナイであった。アテナイの最古の国政は良く分かっていないそうだが、ミケーネ時代から続く世襲王政は王家が弱体化して貴族階級に吸収される過程で消滅し、門閥貴族が要職を独占する貴族政が始まった。しかし前7世紀には党争が激化して貧困層が増大し、平民層の不満が募って国家解体の危機に瀕する。ここで登場するソロンは市民の負債を帳消しにするという経済政策を断行し、更に市民を農業収入に応じて4階級に分け、役人を職務に応じて各階級から選挙で選ぶという政治改革を行う。彼が目指したのは、それぞれの市民があたかも一つの身体の手足であるかのように、互いに痛みを分かち合う社会の実現であった。しかし彼はそれぞれの理由から各階級の恨みを買い、エジプトへと旅立ったという。その後のアテナイでは旧門閥貴族に加えて財力を基盤とする振興貴族のエリート層たちの権力闘争が激化し、アルコン(執政官)不在、すなわちアナルキア(アナーキー)状態になる。民主政には未だほど遠い。
その後、貴族の一人・ペイシストラトスが民衆の支持を背景に政権を握る独裁制が始まる。これが僭主性であり、他国、例えばスパルタ等は後年もこの政治体制が持続する。善政を布いたペイシストラトスが老齢で死去すると、その息子であるヒッピアスが僭主の地位を継ぐのだが、彼は色々あって暴君となり、一族ともども追放される。彼の暴政の記憶はその後も長く市民の心にトラウマとして残り続ける。ここにアテナイでは早々と僭主性が崩壊し、いよいよクレイステネスが登場して一挙に民主制へと到達することになる。これ以上は長くなるので、以降の出来事やアテナイの民主体制の具体的な内容は本書を読んでいただきたい。
アテナイの栄華の頂点はペルシャ戦争後の、ペルシャ帝国の再度の侵略に備えてアテナイを中心として結成したデロス同盟の盟主であった頃と思われるが、一方で民主政が真の成熟期に到達したのはそれより後、ペロポネソス戦争時に多数の市民が城壁内に避難したために土地を中心とした社会的つながりを絶たれ、過密となったアテナイで様々な都市問題が発生し、さらに疫病の蔓延と敗戦の極限状態から再生する過程であったとされる。そして上にも書いたように前一世紀、ローマ帝国の前に屈してその属国となり、ここに4世紀の間(何度か中断したけど)続いた民主政は一旦終焉する。この軍事的に征服されたギリシャがローマを文化的に征服したというのは誰の言葉か忘れたけれど有名な発言で、確かに言語を取り上げても、古来は強弱アクセントであった(口語はずっと後の時代まで強弱?)と推測されるラテン語は何時の時代からか詩歌の押韻でギリシャ語の音韻様式を借用し、それを以って僕たちは高低アクセントで読むそうな。