仰天・俳句噺

週の後半、アマゾンのセールを狙ってキンドルリーダーを購入した。というのも外国語の小説を読もうとする場合、本の入手の容易さでも携帯性においても紙の本に比べて圧倒的に便利なので、暫く前から迷っていたのである。最後に使っていた機器(oasisの最初のやつ)と比べると一回り大きくて重いが、使い勝手は良くなっていると思う。中々終わりに行き着かないライブラリのリストを辿りつつ、めぼしいタイトルをダウンロードして寝床でパラパラと捲っていると、それだけで時間が経ってしまう。拾い読みと再読だらけの1週間となった。大半は冒頭を確認するのみ、少し読み進めたのは『ローマ人の物語 第1巻』、『宮沢賢治全集』と『木曜日のフルット(漫画)』。
そんな1週間に「一応最後まで」読んだのが紙の本;夢枕獏の『仰天・俳句噺』である。著者が闘病中に綴った俳句に関するエッセイであるらしい。それ以上の情報は全く入れずに購入し、いざ読み始めて仰天した。内容が薄い。加えて文体に統一性が無くて文章の脈絡が無い。この人の文体がラノベにも引けを取らない軽さであり、かつ紙面に物理的余白が多いことは重々承知していたものの、こうまで読む価値が感じられないとは。目を右から左にサーっと流しつつページを捲っていると、本の半ば辺りで僕が知っている著者の文体に戻った、と思う。どうやら闘病ハイだったそうな。終盤で闘病生活が再開したらしく、文体も躁状態に戻ってきたため、再びサーっとページを捲って読了。宮沢賢治の下りと、縄文の考察が一寸だけ面白かった。詳細は、もし覚えていれたなら読書会にて。著者の小説の中では、『荒野に獣、慟哭す』(タイトルうろ覚え)が読了済み;これは当時連載が中断された漫画の結末が気になったからである。他は一巻のみなら幾つか読んでいる筈だが、細部は思い出せない。大体同じ展開だったと思う。

もう二冊、紙の本でパラパラと一応最後まで捲ったものが『大岡信 『折々のうた』選 俳句(一)、(二)』。中身は書名の通り、『折々のうた』を時代別に再編集したもの。気に入った句をランク付けしつつ眺めただけなので、読んだとは言えない。
第一巻からは、〈梅一輪、一輪ほどのあたたかさ〉と〈秋風やしらきの弓に弦はらん〉が最も気に入った。特に後者からは行為者の意気込みと緊張感が秋の風景の中に静かに浮かび上がる様が伝わってきて好きである。
第二巻では、〈滝落ちて群青世界とどろけり〉と〈外にも出よ、触るるばかりに春の月〉。後者は敗戦直後に詠まれた句だそうで、戦争が終わった安心感、解放感と新たな生活が始まるという高揚感が伝わってくる。或る句を好きになるには、句の背景を補完できるかどうかにかかっていると感じた。唯の機知のみなら詰まらないと思う。
で、俳句をやりたいかどうかを問われれば、どちらかと言えば短歌の方に興味があると答える。