クルアーンにおける神と人間

特殊で限定的な内容の本であるのに、妙に面白かった。多分著者の論理と表現法(訳本だけど)が心地良いと感じるのだろう。本書は「クルアーンの意味論」と題名を付した方がより相応しいと冒頭にある。意味論とは何であるかを記した箇所を抜粋すれば、「私が理解する限りでの意味論とは、或る言語のキー・タームを、その言語を会話や思考の道具としてだけではなく、より一層重要な、周りを囲む世界を概念化し解釈する道具として用いるひとびとの世界観を概念的に把握することへ最終的に至るために、分析的に研究すること」とある。

この仕事が単純ではないのは、「これらの語や概念がそれぞれ他から独立してクルアーンにあるわけではなく、密に相互依存しており、さまざまな関係からなる全体系からまさに具体的な意味が出来するからである。・・・語が相互に連結されて・・・概念連合網を構成する」からである。さらに、クルアーンにおけるキー・タームそのものは、ムハンマド以前からアラビア半島周辺で広く用いられており、イスラームはそれらを統合して、新たな概念網にそれらを集結させた。すなわち、「既存の諸概念の移植と、それに続く倫理的宗教的価値の根源的な廃棄、並びに再配置」がクルアーンの宇宙観に著しく特徴的な色合いを与えた。例えばアッラーという名はイスラーム以前から知られており、それは多神崇拝の秩序の中で最高の位次に充てられていた。以下、キー・タームが順次取り上げられ、イスラーム以前期からの意味の変遷とクルアーンにおける位置付けをひたすら見ていく事になる。

本書の結論のみを後年になって著者自身が短く日本語で纏めたものが『イスラーム誕生』だそうで、いずれ読んでみたい。ただ、イスラーム自体にそれほど興味が無い僕が本書で面白いと感じた部分は、著者のアラビア語についての考察だと言っておきたい。さて、もう少し井筒俊彦を読みたい気分ではあるが、読む本に偏りが出てしまうので、そろそろ去年から念頭にあったあの本に手を出してみようかなあ。