縛られた巨人、論理的思考とは何か、他
表題書は過去に2度ほど出張の際に読もうと購入しては売り払い、3度目にしてようやく読んだ。熊楠と同時代の文献を多数引用しつつ、著者の解釈に基づいた熊楠の伝記という位置付け(?)。彼の記憶力、知識と行動力に圧倒される一方で、直情的で向こう見ずな行動原理の裏側に臆病な性格も表れていて、少し親近感が湧く。後半、彼が帰国してからは読む側も歯痒くなる(或いは辛くなる)出来事が多くなったが、全体としてかなり楽しめた。5点満点中の4点。熊楠に興味がなければ1点減点くらい。
『論理的思考とは何か』。少し前から同著者の『「論理的思考」の文化的基盤』が気になっていたのだが、価格でブレーキが掛かっていたので、本書の出版は丁度良いタイミングだった。本書では、論理的思考は目的によって形式が変わることが解説される。合理的行為は2つの指標に基づいて4つに分割され、それぞれの特徴が典型的に現れる社会領域(経済領域、政治領域、法技術領域、社会領域)が対応付けられる。合理的行為は「各領域の価値基準に基づいて形式論理的に」判断される。筆者はこの形式論理的、つまり「論理の型」(レトリック)を、4カ国の学校教育で訓練されるそれぞれのタイプの「作文の型」を例に説明する。
以下、手短に紹介すると、
(1)経済領域のレトリックを代表するエッセイ(アメリカ)は、効率よく読み手を説得することを目的とする。主に <主張ー根拠ー主張の繰り返し> の形式を取り、思考の過程が倒立的に配置さる。
(2)政治領域を代表するのはディセルタシオン(フランス)。十分に議論されたか否かが問題となる。弁証法:<主張ー対立主張ー総合> という構造を取り、自立して考え判断できる市民育成のために、フランス革命後の100年余りの試行錯誤の中で形成された。
(3)法技術領域を代表するのはエンシャー(イラン)。真理か否かが問われる。宗教的・自然法的・道徳的に正しい結論に向かって展開する、ある決まった構成 <主題の背景ー主題の説明ーまとめに加えて詩の一節や神への感謝> を持つ。
(4)社会領域の代表が感想文(日本)。同じ社会の構成員から共感されるか否かが重視される。共感は利他行動によって共同体をボトムアップ的(と言って良いのかな?)に成立させる道徳の媒体であり、この点が法技術領域における絶対的な(つまりトップダウン的な)倫理とは異なる。感想文は <対象の背景ー書き手の体験ー体験後の感想> という型を持つ。効果的にストーリーを構成するために、漢詩から伝わった <起ー承ー転ー結> のレトリックも用いられる。
このように、どの価値観を重視するかによって学校教育が重視する論理の型(作文の型)は異なる。教育によって獲得した論理の型はその後の論理的思考のベースとなり、それと知らなければ、異なる論理の型は非論理的に見え、相互理解に瑕疵が生じる。対象領域の合理性に合わせた論理的多元性が重要であると著者は結論する。もっと色々書いてあるので、興味が湧いた人は是非。日本人が書いた一般向け科学書に、どうして自身の研究背景や経緯が叙述されたものが多いのか不思議だったのだが、なんだかスッキリした。つまりは感想文(のフォーマット)だったのだ。
『深淵の・・・』は怪奇現象にテレパシー能力が加わったホラー小説。急に何か怖いものを読みたくなったのだった。途中までは面白い。僕が最近読んだホラー小説は大体そんな感じたっだので、それで十分である。読後1週間以上経っており、どんな内容だったか直ぐには思い出せなかった、そのくらいの印象度。3点。
読み始めた。聖書ではなくて現代の方。冒頭のアルファベットや読み方の章が終わって本編に入ると、それまで併記されていたラテン文字での読み方が記されなくなるので、読むのに時間が掛かる。今の所は長居するつもりが無く、せいぜい年内までかな。