量子力学は本当は量子の話ではない

『ゴジラ – 1.0』に関して。先週末に観た際には、本編が終わってクレジットが流れ出すと同時に会場を後にし、以降余韻に浸ることも無かったんだけど、一昨日にジムで運動を終えてシャワーを浴びている時にふと思い返したことがあった。以下ネタバレ。そういえば奇跡的に生還したヒロインの首元に黑い痣ができていたなあと。多分その時は映像を見たまま表面的に受け取って、無事で良かったけど、彼女にはその後被曝による障害が出るんだろうなあ、くらいに納得して忘れていた。でも意外と(事故の規模の割には)軽傷だった点や子供にカメラが向かなかった点、その他色々考え併せてみると、もっと怖い展開が待っているようにも思える。続編(ゴジラ0?)で安易に可能性を収束させずに、もう暫くは「あの猫」状態を楽しませてほしい。

表題書『量子力学は本当は量子の話ではない』は大変面白かった。今年読んだ本の中で、比重が直近の読書に傾くのは避けられないのだが、最も楽しめた本だと思う。『言語哲学が始まる』とツートップくらいかな。両方とも、「良く分かる」・「かろうじて分かる」・「いまいち分からない」を行ったり来たりで完全に理解したとは到底言えないのだが、そのくらいの読書が一番楽しい。自分の知識の範囲内の内容を読んでも退屈なだけだし、「分からない」が多すぎても筋を追えなくなる。

人は言葉を使って物事を理解する。その言葉の基盤に有るのが日常的な経験であり、これは古典物理学の領域である。だから古典物理は直感的に分かり易く、基礎となる公理は誰もが経験的に納得できる形で纏められる。一方で量子力学の公理としては、例えば「すべての系には複素ヒルベルト空間Hがある」など、専門家でなければ理解できない言葉で表現される。これは、専門家自身も、量子力学の領域を一般的な言葉で、即ち日常的な経験の比喩として表現できないことを反映しており、この非言語的(または非経験的)な性質によって色んな解釈が生まれ、僕たちを惑わせる。粒子は一度に2経路を通って(波の性質である)干渉縞を作るが、経路を観測したら干渉縞は消えるという実験を聞いて不思議に思うのも、僕たちに馴染みのある論理(日常世界での論理)が量子世界では通用しないからである。

タイトルに有るように、量子力学は量子の話ではないとしたら、何に関する話なのか。それは情報についての理論であると本書は言う。そしてこの主張は突飛なアイデアでは決してなく、その可能性が高いと評価される解釈であるらしい。それでは何の情報かというと、それは量子力学の管轄外となる。つまるところこの分野は、情報については何が許され何が許されないのか、という問いに収斂するそうな。本書の最後の方からの抜粋になるが、「量子力学は何がどうであるかにについては語らないが、どうなりうるかについては(計算可能な確率とともに)かたる。そうした ” なりうる ” どうしの関係に関する論理に従う。もしもこれならあれだ、のように」「この ” もしも ” 性はややこしい。私たちが科学と関連付けるに至った性質ではないからだ。・・・ところが量子力学において” もしも ” は根源的だ」。何を言っているのか容易に理解できないと思うが、もし面白そうと感じたなら一読する価値は十分にあると思う。

クリスマスの日、書店でブラブラしていて、ちょうど発売日だった『本気で学ぶイタリア語文法問題集』を見つけた。そろそろロマンス語が恋しくなり、ラテン語を復習しようかルーマニア語でも見てみようかと迷っていたので丁度良い。ベレ出版からのプレゼント(有料)と思うことにした。イタリア語は一年以上も前に一か月ほど齧った程度であまり覚えていないが、馴染みのある発音は何だか安心する。少し前にAudibleの方でダンテの神曲の物凄く好みな朗読を見つけており、何時か聴いてみたいと思っていたところでもあった。そのレベルに達するのはまあ無理だろうけどね。

どこかの読書サイトで「2024に読みたい本3冊」というテーマで本が紹介されていたので、僕も来年読みたい本を3冊挙げることにする。パッと頭に浮かぶのは
1. ダンテの『神曲』原典
2. ウェールズ語約聖書『ウィリアム・モーガン訳聖書』
3. 『言語の7番目の機能』。
1はイタリア語を続けられれば、何か月か後に着手するだけならできるかもしれない。日本語訳も容易に参照できることだし。2は中古でも構わないので手に入るうちにと思って注文して今は待っているとことなんだけど、読むのはまず無理だろうなあ。3は『文明交錯』の著者の前作で、ずっと積読のまま。
1,2の代替として、今月に出た『メタゾアの心身問題―動物の生活と心の誕生』と、積読状態が長い『耳のなかの魚―翻訳=通訳をめぐる驚くべき冒険』。そうそう、『百年の孤独』がとうとう文庫で出るらしいので、待ってた人には良いかもね。

今年はこれで最後。それでは良いお年を。