恐るべき緑

去年の春先から積読していた一冊。「SF」というタグを何処かの書評サイトで目にして興味が湧いたのだが、SFに分類される本ではない。歴史小説家が歴史の欠落部分を想像で補い、あるいは物語的に改変するのと同様に、本書の著者は20世紀初頭の科学史を創作を交えて物語る。裏面の解説の中で「幻視」という言葉が目に留まった。世界を決定的に変えた科学的発見の背景について著者が見た幻視、科学史フィクションと言うのが相応しい分類だと思う。

本書は4つの短編とエピローグで構成される。最初の「プルシアン・ブルー」では、第一次世界大戦で猛威を振るった毒ガス、その開発に繋がった発見をした化学者、フリッツ・ハーバーについて語られる。窒素からアンモニアを生成するハーバー・ボッシュ法のあのハーバーである。続く「シュヴァルツシルトの特異点」はブラックホールの存在を示唆した天文学者カール・シュヴァルツシルトの物語。「核心中の核心」は或る現代の日本人数学者から始まり、グロタンディークへと繋がる。「私たちが世界を理解しなくなったとき」は量子力学に貢献したド・ブロイ、シュレディンガー、ハイゼンベルグの苦難と栄光、挫折の物語である。何も密度が高く、一旦読み始めてみれば、本書の非凡さにページを捲る手が止まらなくなった。積読のまま売り払わなくて本当に良かった。

『偏愛蔵書室』は文学作家・諏訪哲史が紙面に連載した書評集。著者に関しては寡聞のため全く知らなかったが、本書を読めば、彼の知識と読書歴が只事でないことがよく分かる。紹介される本のタイトルも只事ではなく、僕が聞いたことがあるものは100冊中の約20冊くらい、読んだことのあるものはその更に半分程度である。特に中盤の数十冊は全く知らない。或る箇所で、「現代の読者が自分の足元にある時代感覚や思考に〈近い本〉ばかりを求め、自己と相容れない他者的な飲みにくい〈遠い本〉を敬遠しているかが知れる」と書いてあった。著者は〈遠い本〉が好きらしく、本書に挙るタイトルもそんな遠いものばかりである。驚くことに、彼は一万冊以上を読んだと言う。一日1冊としても30年近くかかる計算となる。それも〈遠い本〉を。更に驚くことに、彼は『失われた時を求めて』を紹介するに際し、あの長編を再読した(サルトルの『嘔吐』の際には彼の哲学書を)。途方もない読書馬力である。

年始の小さな楽しみも、もう十三巻目。今年はボリューム的に少し薄めだった。一回読んだきりであまり覚えてないが、牛を見に行く話がお気に入り。

以下はAudibleで聴いた(聴いている最中の)タイトル。ロバート・ソウヤーの “Illigal Alien” は宇宙船の修理のために地球に不時着したと言う宇宙人(その容姿は下の日本語版表紙を参照)の一人が地球人殺害の容疑で法廷で裁かれると言う内容。なかなかコミカルで面白く、話が二転三転する。法廷ものの英語は聴き取り易い気がする。ソウヤーからはもう一冊、”End of an Era” 。これは近未来に実現したタイムマシーンで、科学的調査の為に恐竜絶滅の直前の時代に行く、と言う内容。タイムトラベラーの二人は到着直後から、何かがおかしい事に気付く。アイデア盛り盛りのSFで、タイムトラベルがどの様にして実現したかも明かされる。個人的には前者の方が好き。

現在は絶版らしい

現在聴いているのが “Et Tu, Brute?” 。英語圏で日常的に使われるラテン語の語句にまつわるエッセイである。キケロやセネカから引用された文の朗読に惹かれて聴き始めたのだけど、ラテン語部分はさっぱり理解できない。