文字渦

今年はあまり映画館に行っておらず、先週末に観た『グラディエーター2』が4回目。そこそこ面白かったが、印象が弱い。1の高揚感は無かったように思う。一方、その数週間前に観た『侍タイムスリッパー』はかなり面白かった。昔の人(幕末の会津藩士)が現代にタイムスリップして文化や常識のギャップに四苦八苦するという使い古されたテーマだが、コメディに走り過ぎず余白を残した素朴な描写と、スッキリした物語展開が気持ち良い。観た後で少し気になって動画で調べてみると、一館上映から口コミで広まった超低予算作品とのこと。なんだか嬉しくなった。残りの二つは『エイリアン』と、年始に観た『トットちゃん』。今年中にあと何が予定されているか全く知らないが、もう1、2本くらいは観に行くかもしれない。

さて、『文字渦』を読んで感じたこと。なんとなくだけど、「面白い」という言葉は「楽しい」よりも適用範囲が広い様に思う。例えば『ダヴィンチ・コード』が面白いと言うとき、その「面白さ」には物語展開の楽しさに加えて、蘊蓄から来る知的「刺激」が確かに乗っている。その面白さの総量が10としたら、僕ならその比率は(楽しさ:刺激)が4:6くらい。『ハリーポッター』第一巻なら10:0。「面白さ」には他にもう一つ乗っている要素があると思われるのだけど、それは別の機会に。そして問題の『文字渦』は個人的に、2:8。こう書くとあまり楽しくないと誤解されるかもしれないので補足しておくと、ナンセンスさが楽しい小説だった。このナンセンスさは文字に関する知識を核に展開されるので、それを僕は刺激の方に多めに振り分けたと言う次第。

一話目、表題作「文字渦」の冒頭、〈旧説では、阿語の「阿」は、「ふもと」の意であるとされていた。しかもただの「ふもと」ではなく、驪山の阿を指すとする〉、と始まる。少し引っ掛かるけどフムフム。進めて読むと、始皇帝陵に納める実物大の陶俑を作る俑工、名前を「俑」とする、の話だと分かる。彼は作った陶俑に名前を刻み、竹簡にも記していく。名前は「人」の字(例えば人偏)を要素に持つ一文字で統一され、こうして意味の無い人文字が数万にも増殖する。なるほど、こういうタイプの小説だったか。独創的だが、まだ着いて行ける。さらに進めると「阿語生物群」なる言葉が唐突に出てきて読者は突き放される。「古生物学的観点からは、かつて繁栄した阿語生物群がこの地に定着したこともまたあり得ないとされる」。竹簡に残る文字と阿語生物群が似通うのは、収斂進化のような力が働いたからだそうな。

「阿語生物群」とは、「激変する環境の下、構成要素をユニット化し、総当たり的に激しく組み換えていくことによって生存を試みた生物群」である。この想定は以下の章節にも引き継がれ、文字は遺伝子のような要素を持ち、淘汰され進化し、増殖し、殺字され、闘ったりもする。「闘字」と「幻字」各章のアイデアには特に感服した。その一方で全編を通して妙な心許なさ、フワフワして落ち着かない感じ、が拭えなかったのは、小説設定の基盤が現実世界に接地していないからだろう。大半のSFやファンタジー小説では現実世界に何か乗っかっているか装飾が異なるだけなので、この種の不安定感は無い。続けて同著者の『コード・ブッダ』を読むつもりで購入しているのだが、その前に、地に足の付いた本を先ずは読みたい。

最後に、本書が目に留まったのは、帯に「翻訳不可能」と書いてあり、その下に誰それが「中国語に翻訳中」とあったから。確かに漢字を使わない言語では伝わらない要素が多すぎるので、翻訳できるとすれば中国語だけだろう。それでも読み方の相違は問題として残る。一例として「幻字」の章。主題となる事件は現場の状況からワクワク事件と呼ばれるのだが、「ワクワク」とはアラビア語の文献で言及される、中国の東方にある島(ワコク?)を指す。そこに生える「ワクワクの木」の果実は人の形をしてぶら下がり、捥ぐと萎んでしまうと言う。このワクワク事件を、漢字を弄んで(?)解決するというお話で、なかなかにぶっ飛んだ、面白い(5:5)作品であった。漢字に対する遊び心が本書の基盤(本質?)だと思う。