テストステロン: ヒトを分け、支配する物質

先のオリンピックは放送時間と生活習慣が噛み合わずに殆ど観戦できなかったが、早朝にもまだ試合をやっていたボクシングは一寸だけ観ることができた。そこで問題視された女子ボクシングでのジェンダー問題が少し気になり、読んだのが少し前に訳書で出た本書。スポーツに限らず性差に興味がある人にお勧めしたい面白さであった。

ヒト(哺乳類等も含めて)は正常であれば生物学的に男性と女性に区別できる。男女共に発育の基礎にあるのは女性の体構造で、男の子の場合は高レベルのテストステロンへの曝露(悪い意味ではなく)によって男性の体へと変化する。この曝露は胎児期から始まっている。テストステロンは同時に性格、例えば攻撃性や嗜好性にも影響し、これによって男の子は女の子と比べてより直接的な(肉体的な)攻撃行動を起こしやすく、またある種の対象、例えば電車や昆虫、に強く興味を惹かれる傾向にある。著者の主張によると、男女の性格的な差異は、ある種の活動家や研究者が主張するような社会的な刷り込みによって生じるのではなく、産まれた時から男女は既に異なり、成長するにつれて益々隔たっていくという。僕も著者側に理があると思う(専門知識はないけど)。

ここで注意しておかねばならないのは、男性の性格に備わる攻撃性、これは進化の過程を通じて獲得した性向であるが、この生物学的仮説(あるいは事実)は、社会における男性の暴力(暴力犯罪の殆どは男性によって起こされることなど)を擁護するものではない、という点である。後者は道徳、つまり社会規範の問題であり、評価の次元(しっくりする言葉が見つからなかった)が異なる。このことは著者も懸念点であったようで、繰り返し注意を促していた。もう一点、男性の攻撃性について触れたが、子供(幼児?)におけるこの攻撃性は主に直接的、肉体的な暴力として現れる。一方で女の子による暴力は社会的行動、例えば対人関係でのマウンティング、として現れる様である。この攻撃性の性差について紹介された実験例が少し興味深かったが、ここでは割愛。

テストステロンへの曝露によって男の子は女の子と異なる様に成長していく。生物学的に正常な発育ができれば男女は性染色体(つまりYの有無)によって1−0で区別できるが、そこから漏れる少数派(つまり1と0の間の人達)をスポーツ競技においてどう振り分けたら良いのかが問題になっている、ということがそもそもの興味の発端であった。このことが問題になるのは、男性として成長するか女性として成長するか、つまりテストステロンへの曝露量によって骨格、骨密度や骨格筋の発達に大きな差が生じるからである。本書を読む以前は性染色体で分ければ良いと考えていたのだが、どうやらこの1と0の間には明白な境界というものが無いらしい。

本書で冒頭に紹介された女子大学生、彼女は著者がこれまで出会った中で最も女性らしいという、はY染色体を持った生物学的男性だった。テストステロン生産量も通常の男性並。ただ一つだけ通常でなかったのは、彼女にはテストステロン受容体がなかった点である。そのため彼女は女の子の体と性格を持って成長し、体の異常が発覚した後も女性として生きることを選んだ。さて、この人がスポーツ競技に参加するとして、僕には心情的に女性カテゴリーが妥当だろうと思われる。一方で生物学的女性の中でもテストステロン値に個人差がある。スポーツで好成績を出す様な人のテストステロン値は高い傾向にあり、中には男性に近い状態の人も含まれるという記述もあって、少なからず考えるところもあった。スポーツ競技の女子カテゴリーが今後どうなるのかは注目していきたい。

『スピノザ全集IV』のヘブライ語文法綱要を読み終わった。結論から言えば、全く理解できていない、というか何も頭に残らない。一つだけ有り難かったのは、ヘブライ語の単語や文にラテン語が併記されていたこと。文字の読み方くらいはと『今日からわかる聖書ヘブライ語』も合わせて読んでいた。文字が大きくてわかりやすいが、文法事項の解説は足りないので、きちんと学習したいなら別の本は必須。ちなみに聖書ヘブライ語とは古いヘブライ語(古典ヘブライ語)のことである。現存する文献が旧約聖書しかないのでこういう名称だそうな。

現在ちょびちょびと読み進めている語学書2冊、『ラテン広文典』と『現代ドイツ語文法便覧』がそろそろ読み終わる。前者は後半になると負荷がやや高くなるせいか、少々義務的になっていたが、後者は終始一貫して妙に楽しく読めた。方言や古風な表現も含めてかなり詳細な用法が解説されるので、これだけの内容を実用的に使いこなせる人は大したものである。後者の後継として『ドイツ語古典文法入門』を考えていたけど、再読も候補に入れる。さて、前者『ラテン広文典』のあと、今年の残りは少し脱線して古典ギリシャ語かサンスクリットに行こうかと思っていたのだが、折角の縁なのでヘブライ語でも良いかもしれない。来週の出張から帰るまでは迷っておこう。

Audibleでは再度 “Other Mind” を聴き始めた。我々哺乳類とは異なる系統で進化した意識と知性の話である。この本だったか、同著者の別の本だったか、タコはいろんな種類の魚数匹を率いて狩をするという話が出てくる。ある種の魚(英名なのではっきり分からないけど、ハタの仲間かな?)は自分勝手に行動しがちで、その度にリーダーであるタコは腕を伸ばしてパンチするそうな。想像してみると相当面白い。