会話の科学
だいぶ前、スポーツジムでよく会話を交わすおばさんの一人が『運動脳』に興味があると話しており、僕が丁度その時読んでいた『体はゆく』(運動技能の習得をサポートする先端研究のレポート集)も面白いですよとお勧めしたら、結構な時間をかけて楽しく読んだと後日聞いた。その同じ人が先日また『運動脳』を読もうか迷っており、少し雑談をしているとどうやらその本の要点(僕もウロ覚えだけど、常識的な事柄)は既に知っている様であったので、今度も僕がその時ちょうど読んでいた表題書『会話の科学』を勧めてみたら、読み始めたと後に報告を受けた。運動とは異なるテーマだが、会話と言語について少しだけ見方が変わる本である。
まだ学生の頃、トルコ人の留学生と話した際に日本語の会話はテンポが速いと言われ、そんなこと気にしたことも無かったので驚いたのを覚えている。それ以来注意して聞いてみると、例えば英語で為される講義では、ある講師は次の言葉に詰まる時(例えば数式の展開が即座に出てこない場合など)に、一呼吸置いて「ウーム」とか「アーン」を意識的に発していた(この「アーン」の置き方は僕も真似し、癖になった)。同様の場合、例えば講義や発表の場などで、日本人なら「えー」や「あー」をもっと早く、無意識的に発する傾向がある様に感じられる。一人舞台であるに関わらずそうした「言葉」を(思わず)発してしまう心理は、会話に於いて自分の発言時間がまだ続いていると相手から認知される空白時間の短さを反映しているのかも知れない。
会話で話者が交代する間の時間は一般的に0.5秒以内と言われ、1秒以上かかる場合は受継ぎ手側に何か問題や意図があると受け取られる(質問の意味が分からない、記憶から情報を引き出すのに手間取っている、何か配慮する事柄があるなど)。この交代時間は言語間でも差があり、本書で対象とされた10言語(英語、イタリア語、デンマーク語、韓国語、他アフリカとネイティブアメリカンの言葉?など)の中では英語の平均時間は約0.25秒で最も平均的、会話のペースが遅いと欧米で揶揄されるデンマーク語での平均時間は約0.5秒である。一方の日本語は本書の帯にも有る様に交代時間が最も短く、平均約0.07秒であった。大雑把に言うと、約半分のケースで発言か終わる前に話者が交代していることになる。
会話に於いて0.5秒という非常に短い時間で話者が交代できるメカニズムも興味深いが、本書ではそれ以上は考察されなかった言語間の差異の方も僕は気になる。日本語と英語、デンマーク語で何がそんなに異なるのだろうか。発音やリズム、或いは発言の終了を示す合図出しの早さか。現在の日本人の大部分はテレビ世代である。ある世代以上ならほぼ全員が一様に慣れ親しんだであろうバラエティ番組や漫才のテンポが日常会話に影響している可能性も有るかもな、とふと思った。
『土偶を読む』を批判的に検証した『土偶を読むを読む』も興味深い一冊である。以前話題になった『土偶を読む』、僕はどうしても読む気になれなかった。書店でパラパラと立ち読みした際、どうも結論が先に来る短絡さを感じたからだが、本書でもどうやらその様な批判が為されているらしい。まだ冒頭部分しか読んでいないので濁しておく。大発見をしたと豪語する『読む』とそれを学術的な考察に欠け空想的とする『読むを読む』、果たしてどちらに説得力があるのか両方を読んで確かめたいところだけど、時間的に一寸しんどい。前者を既読の人なら、目から鱗を落とした場合は特に、本書にも目を通す価値があると思われる。
『ニューエクスプレスプラス ポーランド語』も早半分まで進み、発音方面はだいぶ慣れてきた。頻出する「チ」や「ジ」と言う音、ポーランド語では約3種類の音(と表記)を使い分けており、まだ意識しないと上手く発音できない。先述した文法書に辿り着くまでの道のりはまだまだ長い。
Audibleは最近は気に入ったタイトルが見つからず古いもの中心に聴いていたのだが、昨日から聴き始めた”Walking the Kiso Road”は久しぶりになかなか良い。アメリカ人の著者が木曽路(中山道の木曽部分)を数週間かけて歩いた旅行記である。朗読者の英語が聴き取りやすく、時折挟まれる日本の地名、芭蕉や山頭火の句が(比較的)自然な日本語の発音で読まれるのも好印象である。ただし、英語の中に自然な日本語のアクセントが混じると、リズムが相容れない所為か違和感がハンパない。