嵐の中の北欧

一年ほど前に蔵書を一斉処分して、その際にはそれ迄の処分時なら取って置くような少し気に入っていた本や語学関係書まで売り払って随分とスッキリしたのに、最近また本が増えつつある。特に今月の後半には直ぐに読める筈がない大きな本を何冊も購入してしまい、また本棚から隙間が消えて積み重ね置きが幾つもできてしまった。購入した本とは、例えばつい先日にみすず書房から出版された量子力学に関する分厚い一般書。これなどは僕のペースでは読み終わるのに多分ひと月から数か月はかかり、もちろん未だ読めていない。他には例えばロジェ・カイヨワの、石の中に閉じ込められた鉱物の結晶が見せる自然の造形美についての考察本。こちらは薄いので(内容は薄くないけど)外出時に持ち歩き、しばしば眺めている。後者については近い内に紹介したい。

この様に積んどく本が増える一方なのだけれど、最近は積読も悪くないと思っている。目に入る度に意識せざるを得ず、嗜好がそちらに向いている時には期待が高まるし、一寸だけ摘まみ食いして残りは後日に回しても構わない。その後日が来るかどうかは分からない。とにかく何時でも読めるという安心感はけっこう好きである。ドナルド・キーンの『石川啄木』など、積読のまま売り払って文庫版が出た際に買い直した本も有り、売る際にはもう少し厳選しないといけないなあと思う。新書の『はじめてのロシア語』と『ラテン語の世界』に至っては、昨日また注文したところだが、恐らく4度目の購入になる。何だかまた読みたくなってしまった。

さて表題書。現代史は細か過ぎ、現在により直接的に影響するのであまり好きなジャンルではないのだが、本書はそんな僕でも滅法面白く読めた。第二次大戦時に北欧4か国が大国に対してどのような選択を取ったかのノンフィクションである。フィンランドは1939年にソ連の侵攻(冬戦争)を受け、粘り強い抗戦の後に重要な工業地帯などを割譲して停戦を迎える。この侵攻について、ソ連はソ連なりの(真っ当な?)理由が有ったのだが詳細は本書を読んでいただきたい。翌年、ドイツのソ連侵攻に巻き込まれる形で再度ソ連と開戦することになる。この当時のフィンランドは二大国に挟まれた国際情勢の嵐の中で舵を取る小舟の様な状態であった。できる限りナチスから距離を置きつつ、ソ連を極力刺激しないように立ち振る舞った当時の首脳陣のバランス感覚と、或る首相の自己犠牲(ナチスとの連盟の責任は全て彼のみに課せられるように書面を仕組み、戦後に戦犯として裁かれた救国の英雄である)がフィンランドを一歩間違えればあり得ただろうより悲惨な結末から救った。

詳細を紹介するとキリが無いので以下簡単に書くと、スウェーデンはドイツに対して屈辱的ともいえる譲歩を重ねて中立を守り通し、両隣国の苦境にも表立った援助はしなかった。この時もしスウェーデンの決断が違っていれば、大戦の趨勢や戦後の勢力関係が異なったかもしれないと著者は書く。ノルウェーはドイツの電撃的侵攻に南部を占領され国王はイギリスに亡命するが、政府を北部に移して徹底的に抗戦した。ドイツと良好な関係性を維持していたデンマークはまさかドイツから侵攻を受けるだろうとは一片たりとも考えておらず、ドイツ軍の侵略計画についての知らせを受けても、ドイツ艦隊が湾港に現れてなお疑いを抱かずに、殆ど抗戦することなくドイツ軍の侵攻作戦開始後たった4時間で全土を占領された。この個所は皮肉が効いており一寸面白いので抜き出しておく。「デンマーク史の中で最も暗いこの一日は、この上なく素晴らしい早春の快晴の日であった。… 早春の朝、デンマーク国民が目を覚まして朝食のテーブルについたころには、もう全土の要所がドイツ軍に占領されていたのである … 」。このことはデンマーク人のトラウマだそうだ。

帯は誇大広告、薄い内容である

つい一昨日に出版されたばかりの本が『教養としてのラテン語の授業』。ラテン語についての数少ないエッセイなので僕には無視する選択肢は無く、実はひと月ほど前から目を付けていて楽しみにしていた本なのだが、だが、内容が僕にはつまらない。ラテン語自体についての記述に乏しく、学ぶ動機や利点、心構えに関して著者の思うところを述べただけの、いわゆる安っぽいビジネス書の類である。著者が(或いは翻訳者・編集者が?)特に要点とする個所にハイライトを付けている点もいただけない。より濃くラテン語について触れたいなら、教科書的なもの以外では中公新書の『ラテン語の世界』(またはより文法的になるけど講談社現代新書の方)を勧める。本書はまだ前半を読んだだけなのでこの先面白くなるかもしれないし、なにより日本語で読めるラテン語関連書なので最後まで読んで改めて紹介したいけれど、もしかすると愚痴集に終わるかも。要は本書が対象とする読者層から僕は微妙に外れているように思われる。

表題書を読んで、取り合えずまたフィンランド語をやりたくなった。僕の語学の動機はこの程度である。フィンランド語の学習書は幸いなことにまだ手元に置いている。