語学の天才まで1億光年

面白い。著者に関しては何時だったか、まだkindle端末を持っていない時期に、出張の際に持っていった数冊の本にふと出来心から忍ばせた、コンゴへUMAのムベンバを探しに行くエッセイを読んだのが最初だったのだが、その本は文体もノリも余りに砕け過ぎていて読み通すのが辛く、向こうの空港で捨ててしまった。タイトルには惹かれつつもそれ以降は著者を避けていたのだが、これも何時だったか、数年ほど前に『謎のアジア納豆』を読んで、内容の面白さにファンになった。たぶんその数年のあいだに僕も変わったのである。ファンと言っても他に『辺境メシ…』と『ハードボイルド読書合戦』を読んだだけだけど。

で、久しぶりに読んだ著者の本が出たばかりの表題書。語学が趣味とこのサイトで公言している(他では隠してひっそりやっている)僕としては見逃せない一冊で、中身の方も期待通り。先ほど紹介した『20ヶ国語…』よりも対象言語そのものへの言及が多くて楽しく、ついつい睡眠時間を削りがちになった。大学を卒業すると直ぐにタイで日本語講師になる下りと、中国の大連鉄道部で中国語を習い、そこからミャンマー北東部でアヘンの栽培を手伝いつつ、自身まだ未熟なワ語をワ族の子供に教える下りはとても面白い。風変わりな旅行記を書く裏にはこんな体験があったのである。普通でない何か楽しい読み物を読みたい人にはお勧め。

著者にとって言語の習得は目的達成のための道具なので現地での実用性が最重要視され、それ故ネイティブ話者にプライベートレッスンを受けたり語学学校に通ったりしたそうなのだが、僕にとっては文法への興味と、せいぜい文学(的)作品が読めれば良いだけなので、今も相変わらず文法中心の教科書を読むだけである。という訳で現在読んでいるのは以前にも少し紹介した『本気で学ぶ 中・上級編 イタリア語』。かなり細かい(?多分)内容まで解説されていて『本気で学ぶイタリア語』のようにはサラッと目を通すような読み方はできず、僕が語学に充てられる時間ではこれ一冊でほぼ一杯一杯になる。ラテン語は少しづつ以前読んだ文法書を捲って忘れないようにしているが、ギリシャ語の方は本書を読みつつ続けるには時間が到底足りずに再度敗退。こちらはそれなりに時間をかけて集中して勉強しないと僕では覚えられない。そのうちに再開する、かも。

表題書では言語の「ノリ」という話が出てきて面白い視点だと思った。文法的な特徴や正確さのことではなくて、日常的に実際に使われている言葉遣いやその連なりをその言語らしくしている「クセ」のようなもののことである。例えば中国人は中国語を、日本人の耳には喧しく感じるくらいに大きく発する。文と文を繋ぐ接続詞も余り用いず、より直接的な表現になる。そして日本人のように話の場繋ぎ的な、意味のない話(天気についてとか)をしないらしい。こういうノリを日本語に持ち込むと、たとえ言葉は流暢だったとしても、いかにも外国人が話しました的な日本語になるという。エセ関西弁が分かりやすいように、人はそういう違いにはけっこう敏感なのだろう。