ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち

旧版 文庫 評論社

読書会では面白い・面白くないに関係なく、できるだけ最近の本(最近出版された本、最近読んだ本)を紹介したいと考えていて、趣味性が強かったり昔読んだ本などは其処には持って行かないが、何処かでは紹介したい、というものが幾つかある。『ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち』もそんな一冊。有名な古典的童話でアニメ化もされたので知っている人も多いだろう。アニメの出来が如何だったのかは知らない。

Audibleの前書き(preface)によれば、本書は著者が娘に語った即席の創作が元になっている。娘の疑問に答えながら語るうちに次第と細部が創られた。娘が大きくなったある時、「あの物語はいつ本になるの?」と聞かれ、1973年に本書が書き上げられる。日本語への翻訳はその2年後、1975年であった。

新版 ソフトカバー 評論社

物語は野兎の集落が人間の土地開発によって破壊されるところから始まる。事前に不幸が降りかかることを察知した少数のグループはリーダー「ヘイゼル」に率いられて新天地を目指す。野兎と言っても、イギリスの農村地が舞台なので日本に生息するノウサギ(hare)ではなく、アナウサギ(rabbit)の方だ。なので地中に複雑な穴を掘って集団で定住し、多くの他の哺乳類と異なり長期的で緩い繁殖期を持っている。縄張り意識が強く、階級社会の様なものがある。著者はこれらの特徴を上手く使って個々のウサギの関係を物語に取り入れる。

本書は擬人的でない、と評価されることがある。それは上記の事柄であったり、著者自身による「ウサギ語」やウサギの習性に表れる。例えば餌を食べるために地上に出ることを「シルフレイ」といい、ウサギの精神衛生上で重要な行為(習慣)として幾度も登場する。また、怯え切って放心状態のことを「サーン状態」という。等など。また、ウサギの身体能力も現実のウサギの域を出ない。

しかし、ここに描かれる兎たちの心理や行動は多分に擬人的である。それは政治的指導者や社会問題、自然への愛やキリスト教的精神に現れる。その中にどっぷりと浸かって育ったであろう著者にとってこれらの擬人的要素は、いうなれば自然な要素、或いは普遍的性質であったと思われるので、意図した「擬人化」では無かったのかもしれない。『夜の言葉』の中であっただろうか、アーシュラ・ル・グインの評論集の中で、本書を批判したものがある。言葉はキチンと覚えていないが、こういった類の擬人化は空想力の乏しさが原因で、ファンタジーとしては低級だ、云々 (随分前に読んだもので、僕が拡大解釈しているかもしれない。あるいはル・グインでなかったかも)。

但し、である。この物語の主人公、ヘイゼルの行動様式は世界の神話物語で登場する「英雄」と重なる。それは当然、『指輪物語』におけるフロド、『スターウォーズ』のルークとも同様である。かつてジョセフ・キャンベルの著作で「英雄」の条件に関するものを読んだ折に、真っ先に頭に浮かんだのがヘイゼルであった (その条件が何であるかは、本書またはキャンベルを読んで頂きたい)。これは良くできた英雄譚であり、寓話である。ファンタジー小説としてどうかは僕にはよく分からないので、ファンタジーの専門家に任せたい。

最期に余談になるが、これを読む少し前、中学2年生の頃に『ブランコの少女』という小説を手にしたことをふと思い出したのだが、同じ著者による小説であることを、これを書いている今初めて知った。『ブランコ』は確か恋愛小説で当時の僕には難しく、最後まで読めなかったと思う。

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