百代の過客 日記にみる日本人

普段僕たちは言葉を習得するとき、その言葉が使用される用例に触れる度にその言葉の意味範囲を微調整し、我が物にしていく。「全然」という言葉も僕の年代以上の人は先ず否定の強調語として把握していたので、それが肯定を強調する場面で使用されると強烈な違和感を覚えたものだが、この用法に出会す回数が増えると、それがぜんぜん普通に思える様になり、自然と口をついて出る様になる。本来の意味範疇はよく知らないが、近代以降で正しい用法とされる否定強調も単に慣習的な流行に過ぎない。そして、想像するに恐らく誰かの誤用から広まった肯定的用法もまた、社会的な流行である。言葉は通じれば良い。伝統的用法に拘泥しても、それが通じなければ意味がない。周知の例だが、シェークスピアを読むと必ず目にする”thou”が「あなた」の単人称であり、”you”は本来複人称の目的格である。だからと言って会話で”thou”や”ye”(youの主格)を使えば古風で風変わりな人と解されるのが関の山だろう。言葉はかように変遷する。

『源氏物語』の(僕にとって)難解な日本語も『徒然草』まで時代が降れば現代日本語の常識が大分通用するようになるので読む苦労はグッと減る。(断っておくが、僕は『源氏物語』を読んだ事はない。読もうとしたことがあるだけだ。同時代の『枕草子』や他の日記文学はずっと楽に読めるので、恐らく宮中特有の婉曲表現や当時の宮中の常識を知らないので難解に感じるのだと思う。)『おくの細道』まで降れば殆ど現代日本語と変わらない。この短く引き締まった、日本文学中の最高傑作を僕が最初に読み通したのは、実は英語翻訳であった。訳者はドナルド・キーン。伝説的日本人である。その英語は明快かつよく練られており、併収される(冊子の右から原文、左から英語訳が収録される)元の文を参照すれば、ここはこう解釈するのかと感心すると共に、英語と日本語表現の差異が一層興味深い。僕はこの本を読むまでドナルド・キーンのことを知らなかった(意識していなかった)。なお、「日本文学の最高傑作」と評したのは僕ではない。

日本語のある種の表現や俳句、和歌を外国語に翻訳する困難は相当なものである(外国語においても同様のことは言えるが、それは置いておく)。その苦労や工夫が綴られたエッセイの一遍に『英語でよむ万葉集』があり、著者リービ英雄は『萬葉集』の英語翻訳で全米図書賞を受賞している。この本では原文のリズムや情緒を如何にして英語に訳すか、日本語と英語の違いに留意しつつ試作から改善していく過程が幾つかの有名詩歌を例に取り挙げて語られる。日本語に「やまとことば」と漢語が有るように、英語にもアングロ・サクソン言葉とラテン言葉があり、著者が前者の持つ牧歌的・土着的ニュアンスを重要視しているあたりは僕にとって新たな発見であった。誰かに英語の参考書を紹介するとき、僕はこの本とマーク・ピーターセンの『日本人の英語』を薦めることにしている。そのピーターセンが名翻訳と評するSeidenstickerの”The Sound of the Mountain” (志賀直哉著『山の音』)も翻訳日本文学の傑作であり、ここに加えたい。

Seidenstickerが翻訳を通して日本文学を欧米に紹介した第一人者だとすれば、ドナルド・キーンは評論を通して日本文学を紹介した、日本文学研究の巨人であった。古代から戦後文学までの代表作を文庫本全18巻に渡って紹介する『日本文学史』は圧巻である。そのあまりの分量と細微に渡った記述に、僕などは興味のある巻の興味のある章しか読んでいない。全体の第1巻目『日本文学史 – 古代・中世篇一』の冒頭の「序章」は特に、著者の日本文学論総論として一読に値する。脱線するが、学者の中には時折こういう、従事する分野全体を見渡すことができる百科事典的怪物が現れる。例えば特異的な地理的環境が原因で日本が世界をリードする分野の一つである地震学においても、分野全般に渡るそれまで(前世紀末まで)の研究成果を宇野徳治は総括し、『地震活動総説』というまるで事典のような本を独力で書き上げた。その仕事量に驚嘆せざるを得ない。

話の筋を戻すと、表題本はドナルド・キーンの最高傑作であると、彼の著作のごく一部しか読んでいない僕は思う。太平洋戦争中、キーンの任務は戦場に遺された日本人の日記の翻訳であった。彼はそれらの拙い文章で綴られた日記を通して初めて日本人を知る。当時アメリカ軍では機密が漏れることを危惧して兵士が日記を付けることを禁じていた。一方で日本軍では新年毎に兵士に日記帳を配り、日々日記を付けるよう命じた。かつて日本人にとって日記はそれだけ特別なものであった。中には日記を回収する者(勿論アメリカ人)が読めるように英語で書かれたものも有ったと言う。

日本には文学としての日記の千年を超える伝統があり、これは世界を見渡しても稀な文学形態であるとキーンは言う。紀貫之による女文字使用の宣言、宮中の女房たちが綴るあまりに個人的な出来事や公言できない感情の吐露などは「女々しい」と評され、中国文学、特に詩の社会問題をテーマとする「男々しさ」と対比されながら、この伝統は近代以降の私小説へと受け継がれることになる。

日記を付けることは、時間を温存することであるとキーンは続ける。「プルーストは『失われた時間を求めて』の中で、〈時間から身を引いた存在の様々な断片〉が有ったことを発見したが、これと同類の発見を平安時代の女性作家たちもしていた。同時に彼女たちは、それに永続性を与えたいと願っている様々な印象を興趣あるものにするには、〈作者自身の中において、それらを隈なく知悉するように努め、それらを明らかにしてみようとする〉しかないことも知っていた。」「これこそ、初期日記作者から近代の私小説作家に至るまで、日本文学に一貫して流れる一つの基本的性格に他ならない」(括弧内は本書からの抜粋)。

表題本ではその伝統の中で、注目に値する80篇を取り挙げ、その内容や書かれた背景が紹介される。その白眉はやはり、松尾芭蕉の作品群、特に『奥の細道』に極まるであろう。芭蕉の創作は、同行者である河合曽良の日記が公開されて明らかになった。だが、「芭蕉の作話や事実からの乖離は、作品のさらに永続的な全体的真実感をかえって高める。芭蕉は、印象主義的な意味においてのみ「事実」に基づくフィクションを書いたのだ。彼にとって、「事実」は芸術となるには不十分だった」(本書から抜粋)。だとすれば、何者でもない僕が此処に書いてきた事柄に創作が有ったとして、誰に責めることが出来ようか。

奥の細道の章の最後の一節が胸を突く。「月日はまことに「百代の過客」である。しかしそれもひとえに、この永遠の、だが天文学的には意味をなさぬ事実に人が心を向け、言葉の美によって、その深長な意味を保ち続けてきたからに他ならない。何百霜も隔てたその昔に書かれた日記が、今ここにある。文学という芸術への、これ以上に壮麗な捧げ物が、他になにかあるだろうか?」

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